最新号トピックス

2010.12.16

奥地圭子さん 講演禄

奥地圭子 2010年12月15日朝日新聞「人・脈・記」でとりあげられた奥地圭子(本紙代表理事)。記事中にはおもにフリースクール・東京シューレについて語った。東京シューレの母体となった親の会、そして全国の親の会がつながってつくられた全国ネットワーク。フリースクールが生まれる母体について語った登校拒否を考える全国合宿20周年大会時の講演録を掲載する。  今日、不登校を考える全国大会が20回を迎えられたこと、うれしく、そしてすごいことだと思っています。全国のどこでやっても、みなさんが駆けつけてくれ、積もる話をし、ときには泣きながら話してきました。前史に当たる登校拒否を考える会の夏合宿時代を含めると25回目の全国合宿ですが、この大会は、誰でも自由に参加ができて、いろいろ考えあっていく、手づくりの合宿が開催できてきました。  全国各地に親の会があり、多くのみなさんが力を合わせたからこそであり、いまはお会いしないけれど、10年、20年前の協力くださった人のおかげで紡げてきたと言えます。これは、私はやはり「おめでとう」に値することだと思います。世の中、多くの差別や苦しみがある。それに対し、当事者が立ち上がり、つながり、理解を広げ、安心して生きていける社会にしようとしてきました。それは「なぐさめあう」をこえて、新しい文化を生み出しているのです。不登校も同じことが言えます。  今回、20回大会を記念して『支え合って生きる~登校拒否・不登校親の会20年全国調査~』という冊子を作成しました。それを見ると、親の会を続けて「よかった」と思うことの回答で一番多かったのが「悩んでいる人がだんだん楽になっていく」98%、つぎに「子どもの状況がよくなっていく」82%、「親子関係が改善」82%、こういう市民活動が草の根のように拡がって不登校・登校拒否を支えてきたんだと思います。そして、それは、子どもはいのち、いのちの側に立つという原点からの活動です。  全国に親の会ができはじめた1980年代の登校拒否は、いまよりもずっとたいへんで、人間として見られないというか「首に縄を付けてでも戻す」という方針しかない時代でした。登校拒否の子の家には、学校の先生が毎日迎えに来て、「このままでは社会で生きていけないぞ」とか「進学も就職も結婚もできないぞ」とか言われ、あげく「廃人になるしかない」と言われた人もいました。

◎ 首に縄をつけてでも

 毎朝、先生のお迎えがあったある女の子はたまらなくなって、ある日、隣の家の屋根に逃げ、さらにその家から飛び降りて足を骨折しました。彼女は私に「あのときは死んでもいいと思った」と話してくれました。トイレに閉じこもった小学校2年生の子に対し、教頭先生が鍵を壊して引きずり出したということもありました。その家のお母さんは、ご近所さんからも再三、いろんなことを言われて、一家心中しようと思っていたときもあるそうです。  そういう時代のなかで、私の子も学校に行かなくなりました。やはり私も学校に行くのが当然だと思い、毎日、行き渋る息子を励まし、身体症状が出たときだけは休ませましたが、基本的には、なんとか学校に行かせようとしていました。そして、とうとう息子が拒食症になったんです。3カ月間、どんなに手を尽くしても食べてくれませんでした。子どもが何を拒否しているのか、何を訴えているのか、それがわかったのは児童精神科医・渡辺位さんとの出会いでした。渡辺位さんは息子と出会ったその日、その瞬間に、子どもの側に立たれたんだと思います。私にさんざん医者に引っ張りまわされて、医者不信だった息子が、はじめておにぎりを食べ、「僕は僕でよかったんだね、渡辺先生に会ってそう思ったよ」と言いました。心と体は一つだったのです。そこでやっと私も夫も、自分たちは子どもの存在を否定していたんだと気づかされました。私の命と引き替えでもいいから、食べてもらいたいと思っていたにもかかわらず、子どもの求めるものとズレていて、いのちの側に立つことができていませんでした。渡辺位さんは今年5月25日、残念ながら永眠されましたが、本当に幸運な出会いでした。

◎ 親の会、居場所、全国ネット

 そして、渡辺位さんの紹介で出会ったのが希望会です。親どうしが本音で真剣に話し合う場でした。その後、希望会10周年を記念してつくった本がきっかけとなり、登校拒否を考える会を1984年に設立しました。その1年半後に東京シューレという学校外の居場所・学び場が生まれ、1990年にこの不登校・登校拒否を考える全国ネットワーク(以下・全国ネット)が誕生しました。子どもを受けとめ、いのちを尊重するネットワークです。  1991年、広島県の離島で少年少女2名がコンテナに入れられ脱水症状によって死亡する「風の子学園事件」が起きました。これを受け、不登校の子どもたちが「二度とこんなことが起きてはならない」と声を上げ、同時に、全国子ども交流合宿が生まれました。そして、全国ネット、子ども交流合宿、全国の親の会や居場所では「大人が子どもの人生を決めていくんじゃなく、育っていく主人公は子どもなんだ」という、子どもの権利条約の子ども観と重なる視点で、子ども観が語られてきました。  これらの活動の影響もあり、1992年には、ついに当時の文部省が「登校拒否は誰にでも起こり得る」という認識転換をしました。それまで子どもの性格や親の育て方が悪いなど、自己責任論に不登校の理由を押しつけてきた認識をやや変えたわけです。  しかし、学校復帰路線は変わりませんでした。

◎ 20年、経っても駆け込む人は…

 全国ネットの活動は、支え合いを生んだという内側の変化と同時に、外側をも変えたという両面があります。しかし、外側の変化、つまり行政や地域社会の変化は部分的なものです。どちらかといえば、みなさんが実感として感じるのは、「駆け込んでくる人の話は20年前から変わらない」というものでしょう。私もそうです。最近、こころを痛めた例が、母子家庭のお母さんが、子どもの不登校を変えようと姿をくらませる、という話でした。20年も経ったのに、根っこが変わっていないんです。  この状況がずっと続いていいのかな、と思うんです。くり返しくり返し、昔と同じように苦しむ親や子がいて、学校を休むことができずにいのちを断つ子がいます。2006年秋にいじめ自殺が相次ぎましたが、02年の協力者会議で「登校圧力の強化」が計られたことと無縁ではないと思います。こういう状況を切り替えて、子どもたちが希望を持って生きていけるような社会にするためには、どうしたらいいのでしょうか。  今後を考えるときの基本は「子どもは、いのち」、これが基本です。学校は制度です。「足と靴」の関係で見るとわかるように「いのちと制度」がミスマッチのときは、制度を絶対と思わず、いのちに合うよう変える必要があります。  フリースクール全国ネットワークの1月の大会では、新法の成立を含む政策提言を採決しました。子どもが、学校以外の選択肢を持ち、その選択肢を選んでも社会的に保障され、不利益を被らない状況を制度としてつくりたい、という内容です。  私は制度の問題はすごく重要な問題だと思います。なぜなら、私たちが20年間、心を痛めてきたのは「学校と距離をとること」、そのことだけで、なぜこんなに子ども、親が傷つかなければいけなかったのか、ということだからです。学校と距離をとることが制度として認められないからこそ、存在が否定されてきました。  これまで親の会でやってきたことは、親の価値観を変えていくことでした。制度を変えることもまた、多くの人の価値観を変えることにつながります。政策提言には、こういう大きな提言とともに、学校復帰政策を変えることを含め、すぐにでも実現してもらいたい9つの提言が入っています。こういう遠い目標と近い目標、それを見据えて活動していきたいと思っています。

◎ これまでの 蓄積を活かし

 私は太平洋戦争に突入した昭和16年生まれです。幼少期に東京大空襲にあい、いのち生きながらえた経験をしています。せっかく生きてきた命だから、自分が生きてきて気持ちいいと思える社会のなかでやっていきたい、と本当に思います。そして、私にも孫が生まれ、この孫が楽しいと思える社会へと少しでも変えていきたいと思います。  幸い、私たちには仲間がいます。また、渡辺位さんやいろんな先輩が積み上げてくださったもの、もらった宝物があります。それらを活かしながら、この先の10年、20年で、いのちが大切にされる生きやすい社会になっていくようやっていきたいと思います。  これからも全国ネットへの協力をお願いするとともに、この2日間の豊かな交流を期待しています。 (抄録) ※2009年9月15日 Fonte掲載