最新号トピックス

2012.10.15

発達障害事件に思う

 大阪市で昨年7月、当時46歳の姉を刺殺したとして、殺人罪に問われた被告の男性(42歳)への判決が大阪地裁で言い渡された(裁判員裁判)。河原俊也裁判長は、被告が発達障害のアスペルガー症候群だと指摘し「社会にに対応できる受け皿が用意されていない」として、求刑の懲役16年を上まわる懲役20年を言い渡した。これに対し、全国不登校新聞社の論説委員・浜田寿美男は「議論の過程がブラックボックス」だと指摘した。 ■論説・浜田寿美男  裁判員裁判がはじまって3年。職業裁判官によるかつての裁判に比べて、何がどう変わったのかを具体的に検証しなければならない時期がきている。しかし現状の制度下では、じつは、そうした検証がほとんどできない構図になっている。最大のネックは、裁判員が判決後も評議の内容を外に公表することを禁じられていることにある。  この点で最近非常に気になった裁判がある。本紙344号でも報じられた殺人事件である。実姉を文化包丁で刺し殺した42歳の男性に対し、検察の求刑は16年だったにもかかわらず、大阪地裁はそれを上回る懲役20年の判決を下した。アスペルガー障害ゆえに「十分な反省の態度を示すことができない」ことがその大きな理由だったという。  裁判員との評議にもとづくその判決要旨には、次のように記されている。「健全な社会常識という観点からは、いかに病気の影響があるとはいえ、十分な反省のないまま被告人が社会に復帰すれば、そのころ被告人と接点を持つ者のなかで、被告人の意に沿わない者に対して、被告人が本件と同様の犯行に及ぶことが心配される」。ここで言う「健全な社会常識」は、いわば裁判の世界での常套句なのだが、裁判官や裁判員たちはこれによっていったい何を意味しようとしたのか。  この男性は、小学5年生で不登校になって以来30年ものあいだ、ひきこもり状態を続け、これを何とかしようとして関わってきた実姉に対して、逆に被害意識を強固に形づくり、これを殺意にまで高めてしまった。判決も、こうした殺意形成の経緯にアスペルガー症候群の影響をあることを認めたが、一方で、自ら殺害の計画を立て、「最終的には自分の意志で本件犯行に踏み切った」のだから、量刑判断にその障害の影響を考慮すべきではないとした。さらに本人には事件への「十分な反省」がなく、社会の側に「受け皿が何ら用意されていない」こと、その「見込みもない現状」を考えれば、「再犯のおそれ」が強く懸念される。それゆえ、求刑を超えて可能な範囲で最長期の懲役刑を科すのも、「社会的秩序の維持」のためにはやむをえないというのである。  たしかに、これが裁判官・裁判員たちの「社会常識」なのであろう。しかし、はたしてこれを「健全」と言っていいのかどうか。そもそもこの結論を導き出すにあたってどのような議論がなされたのか、その評議の過程がわからない。  アスペルガー症候群がどのような障害であるのか。そこから生み出された男性の生きづらさがどのようなものであったのか。このことを裁判官・裁判員はどう理解したのか。また、とりつかれるようにして殺意を抱いてしまった男性にとって「反省」とは何であるのか。この不幸な事件を男性がこれからどのように引き受け、家族や地域がこれにどのように対処していくべきなのか。現状において彼らを受けとめる受け皿を用意する見込みがないからと言って懲役20年の刑を科すということは、これから20年、なおその見込みがないという将来予測をしたのか。  真に「健全な社会常識」をこの事件に当てはめようとすれば、議論しなければならないことは山ほどある。しかし、判決の要旨からはその議論の過程がまったく見えない。そこは完全にブラックボックスで閉じられている。いや、むしろ「健全な社会常識」という美辞でもって、議論すべき論点をすべて封じてしまったようにも見える。裁判員の評議過程そのものをリアルタイムで公表することはもちろんできないが、しかし少なくとも評議が終わった後にはその内容が表に出されるのでなければ、誰もその評議が「健全」であったかどうかを検証することができない。この事件は被告・弁護側が控訴したと聞く。控訴審でこの点があらためて検証されることを期待したい。(奈良女子大学・発達心理学専攻・浜田寿美男) ◎発達障害の個々の例(アスペルガー、ADHDなど)は  本紙にて解説予定。 記事内容、日程は → 児童精神科医・石川憲彦さん ◎「発達障害事件に思う」執筆者 浜田寿美男さんのインタビュー ◎発達障害が総合的にわかる WEB特集「発達障害ってなに」  ◎本紙のお申し込みは → 申込みページ