最新号トピックス

2009.09.15

“不登校 これまで これから”

山下英三郎さん の話

 1986年、私は「教育現場において、子どもたちの声に耳を傾けるサポートが必要である」と考え、「スクールソーシャルワーク」(以下、「SSW」)という活動を始めました。  きっかけは、70年代の後半から社会問題となっていた「校内暴力」でした。当時は子どもや親を責める論調が社会に蔓延していたのですが、私はちょっとちがうのではないかと感じていたんです。子どもたちがそういう行動に出ているなら、まず子どもたちの声を聞くことが先決なんじゃないかと。  ちょうどそのころ、子どもたちの声を聞く「SSW」という活動がアメリカにあることを知り留学、帰国後に埼玉県の所沢市の教育相談員として活動を始めたのが、不登校との最初の接点でした。  1992年の「不登校は誰にでも起こりうる」という認識転換によって、不登校を肯定的に見るむきが徐々に強まる一方、看過できない問題の一つとして、専門家に依存する傾向が次第に垣間見えるようになりました。97年のスクールカウンセラー制度の導入以降、その傾向は、より顕著になります。  そのなかで私は98年以降、子どもと直接かかわる現場から、社会事業大学へと活動のフィールドを移しました。このことは、専門家依存の傾向の強まりとけっして無関係なものではなく、「専門家に相談してひどく傷ついた」という声をしばしば耳にしていたのがきっかけでした。相談者は「少しでも今後の見通しが立って楽になりたい」と思っているのに、「親の育て方が悪い」「甘やかせすぎだ」などと否定されたというのです。これはおかしいと思いました。そこで、相談を受ける側が相談者を傷つけることがないようにする支援が早急に必要であると考えたわけです。   2000年代に入ると、不登校は過去の問題となってほしいという思いもあり、「不登校はもういいか」と考えた時期もありました。しかし、自分の見通しが甘かったと痛感せざるをえないほど、02年以降の揺り戻しというのは大きなものでした。

医療にかかる子どもの増加

 というのも、専門家依存の傾向が強まるなか、ふたたび不登校が病気とセットで扱われるようになり、医療機関にかかわる子どもが増え始めたんです。精神医療の質が問われることなく、「発達障害」などに代表される新たなレッテルをつくりだす状況が出てきたことは、00年代に入っての大きな特徴です。  「SSW」にかぎって言えば、08年より学校現場に制度として「SSW」が導入されることになり、教員やスクールソーシャルワーカーとして働いている人たちの相談を多く受けるようになりました。そうすると、学校現場がおどろくほど変わっていないということに気づかされるわけです。「発達障害」に代表されるように、学校現場での取り組みが大きく変わってきた一方、旧態依然として変わらずに残っている部分も多い。そうしたなかで、今後どのように活動を展開していくのかということについて考えていかねばならない岐路に立っているのかなというように感じています。  私は二つのアプローチが必要だと思います。一つは「学校を安心・安全な場所にする」ということ、もう一つは「学校を対象化する」ということです。両者はまったく逆の取り組みですが、学校がいかに安心な場所であったとしても、集団が苦手などの理由で、学校になじめない子どもたちはかならずいます。そうした子どもたちのために、「学校を対象化する」、つまりフリースクールやホームエデュケーションなど、オルタナティブな教育のあり方を保障していく取り組みは今後も必要だと考えます。  学校を安心な場所にするという点においては、私が一貫して取り組んでいる「SSW」の活動がその実現に大きく寄与しうるのではないかと思います。08年度より「SSW」が学校制度に導入されていると言いましたが、ここで注意すべきは「不登校対策のためのSSW」と、矮小化されてはならないということです。  97年より始まったスクールカウンセラー制度はカウンセラーの雇用待遇の悪さなどの影響もあって、活動そのものが限定的になってしまっています。「SSW」がたんなる不登校対策という発想で歪曲したかたちで学校現場に導入されることがないよう、注意深く状況を見ていく必要を感じています。