最新号トピックス

2010.07.28

死刑とは何か 大谷恭子さんインタビュー

7月28日、政権交代後初の死刑執行が行なわれた。千葉景子法相は同日の死刑執行に立ち会ったうえで記者会見し、「死刑について根本的な議論が必要」と指摘している。Fonteでは死刑について2010年5月1日、永山則夫事件を担当した大谷恭子弁護士にインタビューをしている。永山則夫事件で実際に見てきた「死刑」とは、どんなものだったか。
大谷恭子弁護士 撮影・落合百利子

大谷恭子弁護士 撮影・落合百利子

――そもそも永山則夫裁判に関わるきっかけは?  私が関わったのは1審の死刑判決が出てからです。率直に言えば、やる気はなかったんですが、かなり荒れた法廷で弁護人をやる人がいない、と言われました。私は、どんな事件でも、どんな人でも弁護は必要だと思っています。弁護士が、事件によって「やりたくない」などと言うのはいかがなものか、と。ただ弁護士とその人との相性というのはあります。その人と弁護人がおたがいに信頼関係が築けないと、どんな結果になろうとも、おたがい不幸になるんです。だから、どんな事件でも引き受ける。けれども、信頼関係を築けなければ身を引くことにする。そこは選択しているんです。  永山さんに始めて会ったとき、たしかに激しい人ではありましたが、その人柄を見て「やれそうだな」と思いました。それが弁護を引き受けた一番の理由だったと思います。 ――二審はどんな裁判だったんでしょうか?  永山さんはそもそも自殺志願者でした。永山さんが生まれたのが1949年、北海道網走市番外地。8人兄弟の下から2番目です。父は賭博に夢中になってほとんど家に寄りつかず、母が朝から晩まで馬車馬のように働いて家族を世話していました。その母も、極貧生活に疲れ、実家に逃げ帰ってしまう。このとき永山さんは5歳です。その後、近所の人の通報で福祉事務所に救助されるまでの7カ月間、兄弟たちと想像を絶する飢餓と闘いながら生きてきました。その後、母親との生活を取り戻しましたが、学校ではいじめられ、そのいじめは15歳の集団就職後にも続きました。東京で職を転々としながら重く暗い現実から逃れようと、あらゆる手段を試みますが、いずれも失敗し連れ戻されています。事件を起こすまでに、自殺未遂9回、密航未遂2回、自衛隊志願が2回、米軍基地侵入が3回。  少年のころから何度も絶望をくり返し、死にたい死にたいと思いながら事件を起こしてしまったんです。だから、永山さんは自分の生への執着はありませんでした。そして、私たち弁護団も一審判決の死刑という結論を覆すのは難しいと思っていました。  しかし、永山さんの前に、その後、獄中結婚をすることになる女性のミミさんが現れます。ミミさんは永山さんに「とにかく生きて生きて生きて生きて!!!」と全身で語りかけました。「何があっても生きてもらいたい」「私が生きるためにあなたが必要だ」と訴えかけました。永山さんにとってそれは家族を含めても始めて、無条件で自分を必要とする人の登場だったわけです。家族的な愛を実感した永山さんは「こんなふうに生きることを求められた存在を自分は殺したんだ」と、謝罪をより深めていきました。そして、やがて法廷に出て行く態度も変わり、その姿や言葉はとても真摯で心を打たれるものがありました。  それを東京高等裁判所も見て、死刑から無期懲役へと判決を覆したんです。つまり、 少年法の理念にのっとり、事件の責任は社会もその責任の一端を担っていくことを決めたわけです。当然、ミミさんを含め、私たちは喜びました。 ――しかし検察は、それを許さず上告しました。  このときの報道、その風当たりの強さは本当に衝撃を受けました。一審の死刑判決後、ほとんどのマスコミは裁判を傍聴はしていません。二審も結論は変わらないだろうと思ったんでしょう。ところが、二審判決で無期懲役に変わった瞬間、いきなり「同情判決だ」というように批判が起きました。まるで「殺せ、殺せ」と言わんばかりの報道であふれかえったんです。なぜ、ほとんど見ず知らずの青年に「殺せ」と言えるのか。もうすこし一人の人間が生きることを許されたことを、裁判官が無期を選んだことを真摯に受け止められないのか、と強い憤りを感じました。  その風潮に乗っかって、検察が異例の上告をし、最高裁も上告を許しました。ここからは粛々と死刑への道がひかれていました。最初は死ねと言われ、次に生きてもいいと希望を与え、また、死ねと言われる。この過程を一人の人間の生き様として見てしまうと、本当に残酷だったとしか言えません。本当にここまで人間のいのちを弄んでいいものか、と。 ――光市母子殺害事件(18歳少年が2名を殺害)も永山裁判と同様に、少年に死刑を求めた裁判でした。  雰囲気は、ほとんど同じだったと思います。光市母子殺害事件の場合は、被害者が直接、記者の前で訴えたこともあり、よけいに扇情的というか、ほとんど死刑コールの報道でした。  死刑制度があるがゆえに死刑コールが許される、ということも言えます。裁判官が死刑を選択できるのに無期懲役を選んだ、そのことを「判決批判」というかたちで報道する。それはわかりづらいですが「殺せ」と言ってることとまったく同じことなんです。私は永山さんの裁判に関わるまで、死刑制度をよく考えていたわけじゃありませんでした。しかし、裁判のなかで、制度として人が人の死を選べること、殺人を望める社会であること、それは社会の質の問題として、絶対に容認できないと思ったんです。  さらに言えば、死刑というのは「殺しておしまい」の判決なんです。社会から気にいらない人やわけのわからない人を排除して問題解決にしてしまうことです。  たとえば、なぜ地下鉄サリン事件が起きたのか、なぜオウム真理教は暴走していったのか、死刑制度があると、そこを考えなくなってしまう。もし死刑がなくなり、その人たちがいつか社会に帰る可能性を残していたら、どんな人間でも、その人と社会のなかで生きていく道を考えざるを得ないんです。 ――大谷さんは死刑執行までの閉鎖性も問題視していますね。  ホントに日本の死刑は極端な密行主義です。永山さんが執行された当時の法律だと、身柄引受人以外への面会や手紙を出すこと、それから出版も許されません。身柄引受人への手紙も月に2度、便せんは7枚までと決まっていました。身柄引受人も一人です。現在は法改正されて、多少、状況は変わっています。  ただ、いまも変わっていないのは死刑囚が数年~10年程度、社会的に死んだかのような扱いを受け、社会から忘れ去られたところで殺されることです。また死刑囚自身も最後は、ほとんど粛々と死を受けいれるような心境に追い込まれるんです。死刑執行官も必死で抵抗する人間を処刑台まで挙げて首に縄をかけるのは、すさまじい修羅場ですし、いやなんでしょう。死刑囚が死にたいと思うように追い込んで殺す、そのやり方は本当に巧妙です。  アメリカの場合は、死刑執行は、本人へはもちろん、一般的にも告知されます。告知後、死刑囚はもう一度、執行停止を求めて裁判を行なうことができます。  その過程のなかで、家族、マスコミ、市民団体が、賛成と反対の両派で運動します。執行の日には、刑務所周辺に、反対派と賛成派が詰め寄り、ものすごく緊張感の高い現場となるわけです。そして、執行のアナウンスが流れると、一方からは拍手が、一方からはうなだれて泣き声が聞こえてくる。これは死刑というのがなんなのかが、リアルに伝わってくることだと思うんです。もちろん、そういう死刑制度だったら賛成というわけではないんですが。 ――死刑執行はどうだったのでしょうか?  永山さんの執行は、執行の1カ月半前に身柄引受人が辞退したその間隙を縫って行なわれました。また、そのときは酒鬼薔薇事件の逮捕から約1カ月後の執行でしたから、少年犯への厳罰、死刑を求める世論づくりにも利用されました。  永山さんの絶命は、1997年8月1日の午前10時39分。身柄引受人がいないため、執行通知を受ける者がおらず、執行後も極秘状態が続きました。しかし、8月2日午前2時、その情報が外に漏れ、私たちも、それを聞きつけて、同日の午後2時に拘置所へ「遺体はそのままに」と連絡をいれました。するとすぐに拘置所からの折り返しの電話がかかってきて「すでに荼毘にふした(火葬した)」と言わました。埋葬許可書によると荼毘は午後3時。なぜ遺体を引き取らせなかったのかはわかりません。  また、永山さんは非常に筆まめな人間で、毎日、欠かさずに日記をつけることと執筆活動を続けていました。死刑判決から7年間、このあいだは出版ができませんから、判決から執行までの遺稿を出版しようと私たちは決めていました。  しかし、その遺品のなかに日記がない。日記と同時につけていた読書ノートはありました。私は日記がぜったいに隠されていると思っているんです。 ――死刑とは何か、ということをまるで見せなくするんですね。  国は、国民に「人は殺すなかれ」と訴えつつ、戦争や死刑では国が人を殺す。その残虐さはひた隠しています。  死刑というのは、社会がいのちをどう考えているのか、という重要なメッセージだと思うんです。どんないのちだって絶対に殺さないというスタンスなのか、要らないものは殺す、捨てる社会なのか、それは大きなちがいだと思うんです。罪を犯さなくても訳のわからない人はいます。でも、その人を排除せずに、何があろうと受けいれる社会が必要なんじゃないでしょうか。  もちろん、社会のなかで暮らしていくために、いろいろな工夫と努力が必要だと思います。刑務所に入ることも工夫の一つでしょう。でも、絶対に抹殺はしないという結論を持つこと。ここは理屈じゃないかもしれません。そうしなければ、どんどん排除していく人の枠が広がっていくんじゃないでしょうか。死刑問題は共生社会をどう考えるか、という問題だと思うんです。 ――ありがとうございました(聞き手・石井志昂/子ども若者編集部・小金沢茜)