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2012.05.31

新藤兼人監督、死去

IMG_6443 5月29日映画監督・新藤兼人さんが老衰で亡くなった。「原爆の子」「裸の島」など社会性あふれる作品を数多く生んできた。「Fonte」では2009年に取材。そのときのインタビューを追悼企画としてアップする。 ――新藤さんの戦争体験から、お聞かせください。  僕が海軍に徴兵されたのは1944年4月、32歳のときでした。二等水兵という一番下っ端として広島県の呉海兵団に入団し、その後に宝塚海軍航空隊に配属されました。僕がいた宝塚海軍航空隊は、兵庫県宝塚市にあった宝塚劇場を改修したところに部隊を構えていました。  あるとき、「武蔵」という大型軍艦が沈没してね。助かった乗組員はその後各地に派遣され、私がいる宝塚海軍航空隊にも4~5人の乗組員がやってきました。軍人とはいえ軍服もなく、シャツに下駄や草履というかっこうでね。その乗組員を囲んだ晩は座談会になるわけです。「どのように沈没したのか」とか「どうやって助かったのか」とね。 その一方で、毎朝行なわれる朝礼では、「太平洋では負けているが、いずれ日本が勝つ」「今度、ニューヨークで観艦式を行なうことになった」などという上官の話があるわけです。  しかし、いまの日本がどういう戦況にあるのか、前線から生き延びてきた人の話で知ってしまっているから、むなしいかぎりでしたね。終戦を知らせる玉音放送を聞いたのは、僕が海軍一等兵で防火隊の隊長を務めていたときでしたね。 ――敗戦を知らせる放送が流れたときは?  聞いた瞬間はね、ぽかんっとしましたね。これはよく言われることだけれども、スピーカーの音が悪くて、よく聞き取れなかったんです。そして、私がいた宝塚海軍航空隊のような地方の部隊には敗戦したという伝令はすぐには届かないわけ。だから、僕らのような兵隊だけではなくて、上官も日本が戦争に負けたなんていうことを知るよしもないから、みなでぽかんっとしてたよ(笑)。 ◎ 玉音放送で いっせいに  宝塚海軍航空隊の甲板士官である兵曹長は真珠湾攻撃にも参加した人でね。足も速い、爆弾のよけ方もうまい、ご飯を食べるのも早い、まさに軍人の鏡のような人でしたよ。その兵曹長は私と歳が同じでね。「新藤、新藤」と、よく話しかけてくれたんです。放送を聞いたときも「真珠湾からの帰りにも、天皇陛下からのお言葉があってわれわれはとても元気づけられたんだ。新藤、これで日本軍は盛り返すぞ」と言うんですね。それからしばらくして、「さっきのは日本の敗戦を知らせる放送だったんだ」という知らせが入って。それでみんなでハッと、われに返ったんです。 ――その当時のことで、印象的だったことはありますか?  海軍ではたばこを吸うときに決まりがあってね。「たばこ盆出せ」という上官の号令がかかるわけ。小さいお盆を出して、その前で姿勢を正してたばこを吸うわけです。  それがね、日本が敗戦したことがわかったのちに兵舎に戻るとね、みな申し合わせたかのように膝を組んでたばこを吸っているんだよ(笑)。それはじつにおもしろかった。私もシナリオライターの端くれだったから、なにか感じるものはあったね。その場には「助かった、自由になった」という安堵感があった。戦争に負けたからといって涙を流して悔しがる人なんかいなかったね。  将校たちはどうしていたかというと、パッと姿を隠したんだ。なぜだと思う? それまで理由もなく殴る蹴るなどしていた兵隊から復讐されると思ったんだろうな。  それに、上の立場にいた人間はみな髭を生やしていたんだ。髭をたくわえていると、威厳があるように見えるからね。それがね、全員が一斉に髭を剃ったんだよね。戦犯扱いされることをおそれたんだ。もちろん、そのときはまだ戦犯なんていう考え方はないけど、偉そうに髭を生やして上官の立場にあった者だと知れたらまずいということで、みんな剃ってたね。  戦争が終わったと知った瞬間、「僕は映画に帰れるんだ」と思いました。僕が徴兵されたのは映画の仕事にたずさわって10年がすぎたころでした。  「まだ新人で、ろくな仕事もしていないのに、これでもう死ぬのか」と思ったもんですよ。当時、戦争に行くということは、死にに行くということでしたからね。日々、絶望的な知らせがあるなか、生きて映画界に帰れるとは思ってなかったわけだから、本当にうれしかったのをおぼえています。 ――新藤さんは映画を通して首尾一貫して戦争反対を唱えていますね。  僕が戦争に反対するには、一つの理由があってね。それは「家庭を壊す」からなんです。戦場で一人の兵士が戦死します。それは、一つの家庭が壊れたことを意味するんです。既婚者であれば、残された妻は未亡人になる。当時、戦争未亡人というのは世間からあがめられた時代ですが、妻の立場からすれば前途は暗澹たるものですよ。子どもからすれば父親を失うことになる。だから、戦争はいけないんです。  ガダルカナル島では日本軍の作戦のミスにより、およそ1万5000人が飢え死にしたといわれています。ところが、その1万5000人、一人ひとりは生きた人間です。それは一括して名誉の戦死となっていますが、1万5000の家庭が破壊されたということなんです。「戦争反対」ということについては、誰も反論しようがないでしょう。しかし、そういう角度からみな戦争を見ないんです。戦争という実態をよく知らないなかで、まるで口癖のように唱えていては、言葉がほこりにまみれてしまうというかね、本質が見えづらくなってしまうんじゃないかと思います。  ではなぜ、家庭を破壊してはならないのか。それはね、一つひとつの家庭が国家を支えているからですよ。とはいえ、家庭を大事にしていたら戦争なんてできません。だから、国は一人の兵士が死んで一つの家庭が壊れたことに言及しないんです。一人の兵士がお国のために死んだと言い換えているわけです。前線に突撃命令が上層部から出る際、「みんなの武運長久を祈る」との言葉がかけられるわけですが、いまからみな死ぬんですよ? 武運長久はないでしょう。突撃して玉砕する兵隊からしてみたら、勝ち目のない絶望的な作戦なわけですよ。  そうした玉砕に身を投じる兵士一人ひとりもみな、家庭を背負っているんです。そのことがどれだけ重く大切なことなのか。私はその視点から戦争反対を唱えてるわけです。  あれから60年以上がすぎたわけだけれど、今でもイラクなど世界各地で戦争が起きている。いま、話をしているこの瞬間にも多くの人が戦争で死んでいるわけです。何人死んだということは報道されるけど、その人がどのような人だったのか、またどんな家庭だったのかということが報道されることは、いっさいありませんよね。戦争とは、それほどまでに家庭をないがしろにし、破壊する行為なんです。その点では日本が負けたあの戦争も、イラクなどで現在起きている戦争も同じわけですよ。戦争とは、それほど愚かなことなんです。 ――戦争の愚かさについては、映画『陸に上がった軍艦』のなかで、新藤さんご自身の経験を元にした描写が多くありました。  2007年につくった『陸に上がった軍艦』では、二等兵という一番下っ端の兵隊の視線で、映画をつくりました。そのなかで、実際に僕らが行なっていた軍事練習についても触れていてね。たとえば、アメリカ軍が本土に上陸した場合を想定した練習があるんだけれど、まず木製のアメリカ軍の上陸用戦車を模してつくるんだ。それを兵隊が何人かで引っ張って動かすわけなんだけど、その途中、「たこつぼ」と呼ばれる穴に別の兵隊が隠れていてね。タイミングを見計らってその木製戦車に向かって、これまた木製の爆弾を持って投げつけるわけだ。ただ木製戦車もできが悪くて、動かすたびにギコギコと、じつになさけない音がするんだよ。朝からそんな訓練をやってるもんだから退屈でしかたがなくて。僕は手が滑ったということで、木製戦車を引っ張ってる人たちにぶつけてたよ(笑)。  兵隊がいくらバカだとはいえ、「これじゃ勝てない」ということをみな思っていたんじゃないかな。ただ、海軍の司令部が考え抜いた命令に基づく訓練なんだから、どこの部隊でもやってたと思うんだよ。非常に滑稽なものですよ。 ◎ 原爆の事実を 僕は忘れない ――原爆については、どのようにお考えですか?  僕は原爆に関する映画をこれまで5本取りました。そもそも僕は広島の出身だから、原爆については並々ならぬ思いがあります。広島では原爆とその後の原爆症で20万人以上が命を落としているんです。その事実をね、いまだに僕は忘れていません。  個人的なことを言えば、「原爆記念日」として、被害者に対し追悼することが何の意味を持つのかと疑問に思います。死んだ人たちは恨むヒマもなく、虫ケラのように殺されたわけです。そんな人の霊をどうやって慰めることができるのでしょうか。僕の考え方は極端なのかも知れませんが、原爆をめぐるいろいろな問題が総括されていないにも関わらず、日本政府がアメリカの戦争を後方支援している現状は看過できません。これほど理不尽なことがありますか? いま僕はね、原爆が落ちた瞬間を映像化する映画を撮りたいと思っているんだ。恨むヒマもなく、死んでいった人たちの1秒、2秒、3秒を映し出す映画をね。ただそれには当時の広島の市街地を再現するなど大がかりなことでね、映画を撮るのに20億円はかかるし、気力の面でもなかなか難しいんだけどね(笑)。 ――未来を生きる子どもたちに伝えたいメッセージとは?  なぜ、戦争をしてはいけないのか。それは、「家庭を壊すものだから」ということをくりかえし伝えたいですね。  そして、戦争というものは、一人ひとりの考え方が引き起こすものだということも忘れてほしくない。戦争で人の命を奪っておきながら、勲章を授与されたり、賞賛を受けたりするというのは、本来あるまじきことでしょう。軍人は「国家のため」という大義を隠れみのにして自分の行動を正当化しますが、それはまちがいです。その国家をつくっているのは、一つひとつの家庭なんです。その家庭を完膚無きまでに破壊する戦争に、国民をかり出すというのは本末転倒です。  日本でも何百万人の軍人が死んだわけですが、そのほとんどが僕と同様に下っ端の兵隊です。家庭が国家を支えているのに、国家間の戦争とはその礎となる家庭を壊すわけです。だから、戦争は絶対にあってはいけないんですよ。そうしたことを、子どもたちにも学び知ってほしいという思いが強いですね。 ――ありがとうございました。(聞き手・小熊広宣) Fonte2009年3月1日号掲載