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2010.05.10

パレスティナの自由教育はいま…

 今年イスラエルで行なわれた「世界フリースクール大会(IDEC)」に際して、「プレIDEC」を開催したいと「希望と花の学校」が呼びかけたのがきっかけで4月3日から6日までパレスティナ自治区に行った。訪れたのはヨルダン川西岸地区の南部ベツレヘム周辺だ。キリスト生誕の地として知られるが、住民のほとんどがイスラム教徒の町だ。  「希望と花の学校」は1984年、難民キャンプで育ったフセイン・イッサ氏がベツレヘムの郊外の村に設立したオルタナティブスクールである。現在はイッサ氏の娘さんであるガーダさんを中心に活動している。  イッサ氏は「貧困、暴力が身近な難民キャンプでは、人々が希望を持てない状況がある。そのなかで平和を実現するためには、子どもたち自身が他者や世の中から大事にされうる存在だと感じられる経験を通して、平和を大切にできる人間が増えていくことが重要だ」と思い、設立したのだそうだ。  「希望と花の学校」には4歳から15歳の子どもたちが約360人通ってきている。自由な教育を確保するため、政府からの公的資金は受けていない。基礎教科の授業はあるが、一律の時間割にそって勉強するのでなく、スタッフが子どもと話しあうなかで、子ども一人ひとりの必要に合わせたタイムスケジュールをつくっている。

◎ 日々の困難支援が必要

 私たちは3日間、ガーダさんを中心に「希望と花の学校」のスタッフや子どもにいろいろと話を聞いた。「ここで育つ子どもには日々困難な状況を生きなければいけないという、パレスティナ固有の状況がある。そうしたなか、子どもが必要としていることに応えることがオルタナティブスクールにとって大切なのです」と、ガーダさんは語った。  ある子どもは、2年前に父親をイスラエル兵に殺され、母親も続いて亡くしたため、孤児院から通っていた。来たばかりのころはなかなか落ち着かず、集中して何かに取り組むというのが難しかったという。  そこで、ガーダさん含めスタッフは、ほかの子どもたちが授業に出ているあいだに個別にこの子と話す時間を持つことにした。そのほかにも、日々の生活の中で心にためてしまったモヤモヤを吐き出すワークショップの時間も大切にしている。  「希望と花の学校」の運営を維持することの困難さは、なにも財政面にかぎったことではない。2002年にはスクールに通う道をイスラエルの戦車に遮断され、通学できなくなってしまうという事態が起きた。楽しげな声があふれている「希望と花の学校」のすぐ近くに、イスラエル人の入植地とイスラエル軍の駐屯地がある現状では、こうした出来事はけっして特殊なものではない。加えて、失業率が50パーセント近いという非常に厳しい社会状況も、子どもたちの学びを厳しくしている。  「希望と花の学校」が目指しているのは、子どもたち一人ひとりが安心して育つことができる場だ。設立者であるイッサ氏は2000年、病により急逝した。  しかし、氏の思いは確実に受け継がれている。今回の訪問で、パレスティナの子どもに必要な成長の場をつくり出そう、この場を守っていこうという「希望と花の学校」の人々の強い意志を感じた。(シューレ大学スタッフ・朝倉景樹)