最新号トピックス

2009.01.16

追悼 牟田悌三さん

 1月8日、虚血性心不全のため牟田悌三さんが80歳で亡くなられた。牟田悌三さんは、テレビ黎明期から活躍した俳優で、70年代のテレビドラマ「ケンちゃんシリーズ」などで人気を集めた。俳優業の一方で子どもの電話相談を受けつけるNPO法人「チャイルドライン支援センター」の代表理事を務めるなど、市民活動に大きく貢献。2000年度の吉川英治文化賞も受賞した。Fonteでは牟田悌三さんに追悼の意を込め、98年8月1日にインタビューした記事を掲載する。 ――牟田さんはボランティア活動に深い関わりをお持ちですが、きっかけは何だったのですか?  私の場合は、明らかに子どもでした。中学校のPTAの会長をしていて、子どもを通して社会を見た場合、今の社会はこれでいいのか、これはマズイぞ、と考え始めたんですね。  PTAでは、中学二年生を対象に、障害をもった人たちとの交流を開いていました。その活動を一〇年間続けているうちに、逆に中学生からいろんなことを気づかせてもらったり、教えてもらったりして、それが私のボランティア観になりました。  たとえば、障害を持った人たちは、私たち以上に生きるということに懸命になっている仲間ですよね。その仲間を手助けするというより、みんなして生きるということではないのか、誰もが不足を持っていて、その不足を補い合って生きていくんだ、ということに気づきました。  それから、立ち止まっても生きていけるということも教えてもらいました。立ち止まってみると、今まで自分が気づかなかったことに気づいたりする。  ボランティアというと、自己犠牲とか、奉仕とか、正しき良き、どこかお高いところにあるものと思われがちですが、それではどうしても、「○○してあげる」という関係になってしまう。  ボランティアというのは、何かすると同時に、相手からも、もらうものがあるわけです。自分にとっても、自己開発であったり、自己実現につながるものであったり、体験学習だったりする。  学習しようと思ったら、お金を出してでもしますよね。それなのに、お金をもらったりしたら、おかしいじゃないですか。 ――なるほど  ボランティアには、いろんな入口がありますが、結局、根にあるのは、人間のいのちの問題ですね。ですから、地球環境の問題や人権の問題、いろんな出来事に対して、関係のないものがなくなっくる。  ボランティアというのは、そういう生き方のことだと思うんですね。いろんな発見があり、感動がある。 ――今の子どもについては、どのように感じておられますか。  今の子どもは、感動する場面が少ないと思います。何かするにもプロセスがはぶかれてしまっていて、すぐ結果ばかりが出る文明社会ですからね。いろいろ苦労して結果を得ると、感動するし、勇気も湧くし、人とのつながりを実感し、共感の喜びがある。そういう場面が少ないんじゃないでしょうか。  社会が効率優先で動いてきた結果、今の状況をつくってしまった。しかし、すぐにお金や効率に結びつくものでないところに、自分の生きている実感や生きがい、自分の得るものがある。そういうことを、子どもにも伝えたいですね。

◎子どもの声を聞く

――先日、チャイルドライン支援センターが設立されましたね。  これは、子どもを受けとめ、子どもの声を聞く電話をつくろうという動きです。子どもの声を聞くというのは、今の大人に一番、求められている姿勢ですよね。  先生にも親にも仲間にも相談できずにガマンしている子どもが、四割近くもいるという調査結果が、総務庁の調査で出ました。それは、深刻だと思います。  大人が子どもを受けとめること、子どもが大人を信頼できるようにすること、その両方を変えていく必要がある。チャイルドラインで、そこが少しでも変わっていけばと考えています。 ―― 一般には子どもへの不信感が根強いですが……。  子どもに対して大人が不信感を持っている以上に、子どもが大人に不信感を持っていますよ。その不信感を解消するには、どうしたらよいのか。そのとき、子どもの声を聞こう、ということになったわけです。  不登校についても同じことが言えるんじゃないでしょうか。まずは大人の価値観を変えていかないとね。学校には行くべきものだという価値観を変えて、その子がどういう生き方を望んでいるのか、よく聞くことから始めることだと思います。不登校も一つの生き方、学校に行くのも一つの生き方ですよね。  私は、子どもは、子どもの関心のあることをやっていったらいいと思うんですね。好きなことなら、意欲もわきますしね。 ――みんなが同じ、というのがおかしいですよね。  今までの教育は、平等ということをまちがって伝えてきたのではないでしょうか。平等というのは、みんなが一緒に、同じようにすることではないですよね。一人ひとりのちがいを、おたがいが認め合うことが平等につながるのだと思います。それは、同質になることとは正反対ですよ。 ――しかし、大人も子どもも、なかなか自己主張できない社会ですが。  会社のなかで自己主張できないのであれば、もう一つ、自分の自己主張のできる場所をつくればいい。子どもも、学校で自己主張できないのなら、学校の外に自己主張できる場所をつくればいい。そういう自己主張できる場には、いろんな人が集まってくると思うんですね。それは、大きな力になる。ボランティア活動というのは、そういう側面もありますよね。 ――自分たちの生きる場は、自分たちで生み出そうということですか。  いま、子どもの居場所をつくろうという動きが盛んですが、子どもの居場所は子どもがつくるものだと思うんですね。器をつくれば、人が集まるというものじゃない。最初は不自由かもしれないですけど、子どもの声を土台にしてつくっていくことが大切だと思います。 ――行政にも、そこを分かってほしいですよね。  行政は、問題解決をすることが前提ですからね。すぐ結果を出したがる。だから、子どもはそっぽを向く。結果を気にせず、子どもの声を聞けるのは、市民だと思いますね。  二一世紀は、市民が力を発揮していく時代だと思います。そういう大きな流れがあるような気がします。逆に言えば、それだけ、一人ひとりが何がしたいのか、どう生きたいのかが問われている時代だと思います。 ――お忙しいところ、ありがとうございました。 ※1998年8月1日 不登校新聞掲載