最新号トピックス

2010.01.07

上野千鶴子さんに聞く「どこでもいい、生き延びて」

ueno 2002年、上野千鶴子さんは著書『サヨナラ、学校化社会』のなかで「学校化社会は誰も幸せにできない」と指摘した。出版から10年、現状をどう捉えているのだろうか。 ――まずは上野さんが『サヨナラ、学校化社会』で指摘された点をお願いします。 学校化社会とは、学力・偏差値の競争社会のことです。ネオリベ(新自由主義)が登場する前から、学校はタテマエ競争社会でした。学校とは、競争をさせて人に序列をつけて勝者と敗者を生んでいく選別のシステムです。底なしの競争は、たとえ勝者であっても評価されることにおびえ続けることになります。つまり、敗者は不満を、勝者は不安を感じる社会。どちらも不幸です。だから「学校化社会は誰も幸せにしないシステムだ」と書きました。 学校化社会が強化した理由 しかし、学校化社会はちっとも終わっていません。むしろかつてより強化されました。要因の一つは学校化社会で育った子どもたちが、今度は親になったからでしょう。昔の親はもう少し多元的な価値を持っていました。「うちは魚屋なんだから勉強なんてできなくてもよい」「うちにはうちの流儀があるから、よその子と同じでなくてよい」なんて言う親は、もうほとんどいません。競争はどこにでもありますが、競争の価値が多元的ならばもう少し緩やかでしょう。ところが、学校化社会では価値は成績という一元尺度です。そのなかで育ち、その価値をしっかりと内面化した人たちが親になった。そういう親たちのもとで、子どもたちは競争に参加させられています。 もうひとつの要因は、親だけでなく世間も一元的な価値観の競争社会になったという点です。学校社会というのは明治以来100年以上のあいだ、唯一の公正な競争の社会だと思われてきました。世間では世襲や差別があるけれど学校の競争だけは公平な能力主義だ、と。ところがネオリベになって、世間でも能力主義の競争が激化しました。そのじつ、学校的な能力というものが生育歴によって大きな影響を受けることは実証されているのですけれどね。 子どもたちにとっては高校卒業があたりまえになり、大学進学率もおよそ半数を超しました。「誰もが行くなら」と大学へ行き、その後の就職状況はどうなったか。不況になってから企業による選別は厳しさを増す一方です。学歴格差に加えて学校間格差が拡大しました。かつて廃止が叫ばれた指定校制度(企業が新卒雇用者の出身大学を指定すること)は、今日ではその名前すらなくなってしまったほどに一般化しています。 それは企業が従来型の人事制度を変えないまま、イス取りゲームのイスを減らしているからなんです。 では、なぜこんな事態になったのか。 (続きは本紙にて →お申し込みはこちら/月800円)