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2010.06.01

第9回 小西剛史「隣る人」

 外に出ると、ずいぶん長い時間が経ったような気がしました。あまりにもきれいな晩夏の星空と当たり前のように遠くから聞こえてくる車の音、気狂いしそうな自分とのギャップに不謹慎感さえ感じました。2年間やめていた煙草に火をつけても、感情の波を落ち着けることはできませんでした。検死が終わり院内に戻ると「腎破裂によるもの」と死因を告げられました。『内臓は大丈夫でしょう』と言い続けてCTも撮らなかった内科医に詰め寄っても「申し訳ありません」の一点張り。病院に対しては、のちに訴訟を起こすことも検討しましたが弁護士などに相談した結果、最終的に取りやめることにしました。  職員たちと、和輝の弟を含む子どもたち全員、学校の先生方とクラスメイト、そのほか多くの方々に見送られて和輝は天に召されました。葬儀などが終わり日常生活に戻ると、場面場面で和輝がもう居ないということを再確認させられるようで、つらい毎日が続きました。朝、目が覚めるたびに憂鬱な気分で始まる一日。ほかの子どもたちの手前、気持ちを切り替えてカラ元気をふり絞り、夜になり遺影の前で一人、ビールを開けると緊張が解けて涙があふれ出す。家族を失った経験のなかった自分にとって、これほどまでにつらい日々が続いたのは人生初めてのことでした。   数週間が過ぎ、当時の施設長へ相談に行き「どうしたら、このつらさから解放されるのでしょうか。もう悲しむのは終わりにしたいのですが」と尋ねました。すると施設長は「悲しいときは精いっぱい悲しみなさい。気を紛らわして忘れようなんて思っちゃいけない。死ぬほど悲しんだって、和輝が感じた苦痛よりは楽なはずだ」こう言って厳しく励ましてくれました。そのときは『残酷だなー』と感じましたが、生きていることを日々感謝するということを覚えるようになったのはそのころからでした。日常に押し流されながら時間がすぎ、ようやく心から笑えるようになったのは翌年の春ごろだったように思います。  『子どもたちに何を教えてあげられるだろうか』などとはおこがましい思いあがりでした。これほどまでに大切なことを命がけで教えてくれた和輝の死を絶対無駄にしないよう、残りの人生を大切に生きようと心に誓った出来事でした。