最新号トピックス

2010.05.17

第8回 小西剛史「隣る人」

2003年9月。私が光の子どもの家に来て1年半が過ぎようとしていたとき、和輝という11歳の少年が交通事故で亡くなりました。山登りに海水浴に、楽しい思い出をたくさんつくった夏休みが終わり二学期が始まってすぐの出来事でした。夕方、いつものように学校から戻った和輝は「帰ってからやるから」と言い、宿題もやらずに自転車にまたがり友人宅へ遊びに出かけました。事故はそれからすぐのことでした。 隣接する病院からの連絡で事故を知りすぐに駆けつけると、車にはねられて用水路まで飛ばされたという泥だらけの和輝が泣き叫んでいました。最悪の事態も考えながら駆けつけたので、その時は「よかった、元気だ」と内心ホッとしたのを覚えています。その後の診断で足を複雑骨折したことが分かり病室へ移されました。 「せっかく学校が始まったばかりなのに、長い入院になるだろうな。もし車いすの生活になっても俺が一生押してやるからな」。 そんなことを覚悟しながら痛みで泣き続けている和輝の横でずっと佇んでいました。午後8時ごろ、うつろな表情で泣き続けていた和輝の呼吸が徐々に穏やかになりました。最初は「やっと寝るかな」などと思いようすを見ていましたが徐々に顔色が悪くなっていくのが分かり、急いで医者を呼びました。血圧がかなり低下していることが分かり「これはやばいぞ、ちょっと廊下に出ていてください」と言われ、われわれは廊下で祈りながら待つことになりました。病室を慌ただしく出入りする看護士、病室から聞こえてくる少しずつゆっくりになる心拍計の音。 「まさか、そんなことあるわけない、でももしかしたら。ウソだ、ありえない」。正気ではいられなくなりました。 そしてしばらくすると看護婦から「病室に入るように」と言われました。心臓マッサージを受けている和輝、それをしなければすぐに下がってしまう心拍数。延命措置でしかないことは明らかに分かりました。そしてその状況をわれわれに示したあと、臨終を告げられたのです。私は和輝にしがみつき、泣き崩れました。 「帰ったら宿題やるって言ったじゃないか……、ごめん、守ってあげられなくて…、いやこれは全部ウソだ。もしかしたらヒョコッと起きるかも」。 受け入れきれない現実から逃避しないと、じっとしていることさえできない状態のなか「これから警察の検死があるので、一度病室から出てください」と現実を突きつけられ、私は一度病院の外に出ることにしました。(つづく) ※2010年5月1日 Fonte掲載