最新号トピックス

2010.03.01

第3回 小西剛史「隣る人」

 近年、多くの子どもたちが虐待により施設に入所してきます。子どもの数そのものは減っているのに被虐待児が増えている理由はいくつかありますが、多くのケースを見ていて感じることは(親などが)追い詰められた状況のときに心の支えになる人がいなかったということです。前号で述べた『大人には逃げ場がある』というのは社会的なことであって、親子関係には極端に言ってしまえば永遠に逃げ場がないと思います。  そしてもう一つは、日本という国が科学技術の進歩や物質的な豊かさを手にいれたことなどによって忍耐しなければならないことが非常に少なくなったり、ほしい物を手にいれることが容易な時代になったからではないかと思います。  日常生活のなかでどんなに忍耐することが少なくなっても、子育てや人間関係には“いつの時代も変わらない忍耐”が時には必要なはずですし、それらを経て手にいれることができる人との関係も当然容易に手にいれることができるはずはないのです。  暑かったらエアコンをつけ、お腹が空いたらコンビニやレストランでいつでも腹を満たすことができ、暇ならテレビをつけ、誰かとコミュニケーションを取りたくなったらいつでもどこでも携帯から……そんな日常生活のなか、子育ても手軽に楽しく思い通りに行くはずだと錯覚してしまうのではないでしょうか。  核家族化が進み、親にとって後ろ盾がない状況で、忍耐することができない大人が忍耐できない子どもを育てていれば問題が起きないはずがないことは容易に想像がつきます。  と、えらそうなことを言っていますが、私自身も便利な世のなかで生まれ育ってきた忍耐のできない人間でありながら、虐待などで措置されてきた子どもたちの養育に関わっています。養育のプロとして職員どうし、たがいに支え合い、毎日語り合っているからこそ何とか維持できているようなものです。ここに来ることになった子どもたちの親と同じ状況下で、はたして自分はそのとき穏やかに子どもと接することができるだろうか……。かなり追い詰められた状況で、人が起こす行動はそれほど大差がないのではないでしょうか。行くところまで行ってしまうかどうかの境目は、追い詰められたときに隣に支えてくれる人がいるかいないか、それだけではないかと思います。  少なくとも光の子どもの家で育った子どもたちにとって、隣にいる人、最終的な助けになる人であり続けたいと思っています。 ※2010年2月15日 Fonte掲載