最新号トピックス

2010.02.15

第2回 小西剛史「隣る人」

 「いじめ」というと、多くの場合、子どもたちの学校生活などでのことを指すと思いますが、大人社会でもけっして少なくないと思います。ただ子どものいじめと大人のそれとの大きなちがいは、大人には逃げ場があることが多いということだと思います。近年人間関係の不適応で職場を転々とする若者が増えていると聞きます。状況にもよるでしょうが、大人はいじめならずとも居心地が悪ければほかへ移ることが可能ですが、子どもは学校でいじめを受けた際、自分だけの力でほかへ移ることが不可能なことを感じてがまんしながらあきらめることしかできないのだと思います。  そしてそれは施設に入所している子どもたちにとっても似たような状況があります。施設入所する子どもたちは児童相談所の判断により家族と別れて一時保護され、最終的に施設へ入所することになります。家族と別れて施設で生活することを自ら望む子などいるはずはないのですが、そこに子どもの意思が入る余地はほとんどありません。一方で施設の職員は、自ら望んで施設職員となっておきながら自分の都合でいつでも辞めることが可能です。いやむしろそれらが社会的に保障されており、子どもとは立場(土俵)からしてまったくちがうのです。辞める理由や辞め方は人それぞれですが、望まざる生活を強いられる可能性がある子どもたちを前にわれわれがしなければならないことは、子どもたちが『ここでよかった。会えてよかった。むしろ家族との別れがあったからこそ、あなたと出会えたんだ』と思えるような生活をつくり、人生のマイナスをプラスに置き換えることができるくらいの関係を築くことだと思います。そのためには居続けること(辞めないこと)が子どもと同じ土俵に立つという意味で最低条件だと思っています。  子どものトラブルに対応し、たがいが感情的になっているとき「あんたなんか関係ないじゃん」という殺し文句を言われることが一番きついです。「そう、自分はこの子の家族ではないし、偶然いっしょに生活しているだけなんだ、たしかに関係ないかも……」と。  「関係ない」という言葉は「自分にとって都合が悪いことには関わらないで」というような思春期特有の自己中心的な反発でもあり、じつの親子間でも交わされる言葉だとは思いますが、本当の親子ではないということでどうしても深く考えてしまいます。「関係ないじゃん」と言われているうちはまだまだ関わりが足りず、子どもから自分が認められていない証拠ではないかなどと。血のつながりを越える「関係」を築くことの必要性をたがいがぶつかり合い、追い詰められた状況の際に感じることができます。 ※2010年2月1日 Fonte掲載