最新号トピックス

2009.10.12

最終回 向谷地生良「日々発見」

◎他者の評価に生きる

 統合失調症などさまざまな障害を持ったべてるのメンバーに共通した苦労を一つ上げるならば「人からどう思われるか」という「人の目線」をめぐる葛藤があります。あるパーソナリティー障害を持つ女性メンバーの自己病名は「他人の評価依存型人間アレルギー症候群」です。彼女は、つねに人の目線、人の評価を基準に生きざるを得ず、一見、人の評価も最初は高いのですが、長続きせずに疲れがたまり、最後には自傷行為やひきこもりに入るパターンをくり返してきました。  他人の評価に依存するということは、知らずしらずのうちに、自分としての人間の存在価値までも、人に委ね、それに一喜一憂する不安定な状態を生きることを意味します。「全力疾走の研究」というテーマで、自分の生きづらさを研究しているメンバーも、いつも自分の後ろには「父親の目」があって、その目がいつも「ガンバレ! ガンバレ!」と言っているような強迫的な切迫感におそわれ、ついつい全力疾走をしてしまうという苦労を語っています。  そこには「人の存在価値は、人によって決められない」というもっともシンプルな生きるうえでの“わきまえ”を見失った社会の現実が透けて見えます。  筋ジストロフィーの体験を綴った石川正一さん(故人)の著書『たとえ僕に明日はなくとも』(立風書房)のなかで、石川さんは「もしも、人間の生きる価値が社会に役立つことで決まるなら、ぼくたちには生きる価値も権利もない。しかし、どんな人間にも差別なく生きる資格があるのなら何によるのだろう」と書いています。  以前、アメリカに留学中の高校生の娘からのメールに、おもしろいことが書いてありました。定期試験の話題でした。アメリカでは、試験とは人と競うものではなく、また、基本的に人の評価とは無縁だというのです。60点を取った娘は、再度、まちがったところを修正し、できるまで何回でも答案を提出できると言うのです。あくまでも、試験は、自分の達成度を計るための目安に過ぎないと言うのです。そんなアメリカでも、生徒の成績によって学校に予算を配分する競争原理を導入したら、勉強の苦手な生徒は、みんなの足を引っ張るということで試験の日には休むようにという暗黙の圧力がかかり、勉強は、試験対策一辺倒になったところもあると聞いたことがあります。  日本でも、アメリカの悪しき先例である「市場原理」があらゆる分野に無原則に導入されようとしています。  その意味では、精神障害やひきこもりは、世の中の非人間的な競争社会からの離脱という、身体の“賢い選択”と言えるのかもしれません。     (了) プロフィール……(むかいやち・いくよし)。ソーシャルワーカー。84年に精神障がいを経験した当事者らともに社会福祉法人「浦河べてるの家」を、北海道浦河町に設立。著書に『安心して絶望できる人生』(NHK出版)など。 ※2008年10月15日、Fonte掲載