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2009.05.18

第7回「男とことこ」 石原淳

Vol.07 まぼろしのブルース

「貴方のことが好きなの、おつき合いしてください」 「うれしいけど、俺と君じゃ立場がちがいすぎるんじゃないかなあ」 「おたがいに好きなら、問題はないでしょう」 「でも、君は忙しいだろうし、マスコミも騒ぐだろうし」 「じゃ、ときどき会いに来るぐらいならいい?」 「もちろん。何もおもてなしはできないけど、歓迎するよ」    就職した工場で私を待っていたのは印刷機の部品をつくる仕事で、基本的には流れ作業であった。  手順を覚えるまでは緊張感もあったが、3カ月の試用期間を過ぎるころには体が自然に動くようになり、頭のほうはヒマになってきていた。  そこでヒマつぶしに編み出されたのが、妄想の世界に身をゆだねるという手段であった。冒頭の会話はその妄想の中身であって、相手は吉永小百合、松原千恵子、和泉雅子、芦川いづみといった当時の青春映画のスターたちである。この4人が取っ替え引っ換え出てくるのだ、豪華なこと、この上ない。俺は天下の二枚目だという自覚さえ沸いてきていた。  先輩の「おい、次の部品が溜まってるぞ」の声で、ふと我に返り中断されることはあったが、作業中はおおむねこの妄想に耽り、話を膨らませていた。  こんな美女たちに次々告白されているのだから、その辺にいる女どもなど相手にしている場合ではないという幻想を持つことで、モテない現実から目を逸らせようとしていたのかもしれない。  しかし、当然のことながら、妄想から抜け出ればその辺の女どもに目を奪われてしまうのは、我ながら情けなかったし、それを隠しおおせているつもりが、まわりからは一目瞭然であったろうなと今にして思う。  先輩や同僚がする女の品定め的な話の輪に加わることは、かたくなに拒否していたが少し離れたところで全身を耳にして聞き入り、共感したり疑問を持ったりしていた。いわゆるムッツリ助平というやつである。  モテナイ男はつらいの一言である。  「また、モテナイ話かよ、しつこいな」という声が聞こえそうだが、私の長く苦しい期間の重さからすれば、読者の文句など風の前の塵に等しい。  モテナイという無間地獄のような苦悩の持続によって私の性格は豊かに見事に捻じ曲がった。それだけではない、この経験をバネにして自分の歪んだ性格に耐えるだけの強固な精神力も培い、現在の私が存在しているのである。あ~あ。 ※2005年5月1日 Fonte掲載