最新号トピックス

2009.04.06

第2回「男とことこ」 石原淳

Vol.02 彗星夢死?

「男・彗星、女・太陽」説というのがある(私の説だが)。 彗星は太陽のまわりを楕円形の軌道を描いてまわっている星で、太陽にもっとも近づくところを近日点、遠くなるところを遠日点という。 男・彗星は遠日点あたりの暗闇から、ふと、女・太陽を見つけるとあの輝かしいものは何だろう、行けば幸福が待っていそうだと、どうしても惹きつけられ近づきたくなる。恋はなんとかの状態で突き進む。途中からは太陽風の影響で尾までできて、どうだい、おれ様のこのカッコよさを見てくれ、などと自分に酔っていたりもする。 しかし、彗星はほとんど氷でできており、近づくにつれ溶けてくる。そのまま溶けきってしまうのを、恋に生き、恋に死んだ幸福な結末ととるか、あるいは不慮の事故と思うかは意見の分かれるところだ。 近日点をクリアして無事に逃げ帰るものもおり、一時的にはほっとするのだが「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で遠日点に戻るころには記憶は霧消し、再び太陽に目を向けることで振り出しに戻る。溶けてなくなるまではこの繰り返しということになる。 なすところなく、いたずらに一生を終えることを「酔生夢死」というが、もともとは「彗星夢死」なのだ。 もっとも、すべての彗星がこうであるわけではなく、「だから言わんこっちゃないんだ。彗星は彗星どうしで仲よくしてるのが一番だ」というのもいれば、「彗星も太陽もみんな好き」派もいる。どれが正解というわけでもなさそうだが。 韓流ブームとやらで、「ヨン様」を追いかける女をみれば、彗星と太陽が逆ではないかと思えるが、実はそうではない。太陽は一人の女の象徴でもあるが、女全体を表してもいる。 「太陽がいっぱい」とは太陽が女でいっぱいということで、ヨン彗星のようなものが近づくとドッとそっちのほうへ移動するのがいるというわけだ。 どのみち、女は太陽にとどまる。下手に出て行けば、お目当ての彗星は溶け、自身も破滅である。自分たちはお祭り騒ぎをしているだけだということを女はよく知っているようだ。 男にとってはクラッシュの危険を冒して星間サーキットを駆け抜ける成算なきレースのようなもの。女にとっては一時のお祭り騒ぎのなかで相手が消えてなくなるか、はるか彼方へ飛び去る。これが恋というもので、むなしさを追求するのが大好きな人にはこたえられないイベントである。 また、このように恋においてさえも女は相手の一部始終を見据えていられるが、男は忙しくてそれどころではない。何とかならないものであろうか。 ※2005年2月15日 Fonte掲載