最新号トピックス

2008.12.08

第5回「社会の中の精神現象」 高岡健

バージニア工大銃乱射事件(上)

 2007年4月16日、バージニア工科大学で銃乱射事件が起こり、32人が死亡した。その場で自殺した容疑者は、韓国人で同大4年のチョ・スンフィと特定されている。  バージニア工大事件、1999年のコロンバイン高校銃乱射事件を重ねる見方がある。チョ容疑者がテレビ局へ送りつけた文書に、コロンバイン高校事件の容疑者とされる、2人の名前が記されていたからだ。チョ容疑者は、コロンバイン高校事件のどこに、共鳴したのだろうか。  チョ容疑者は、中学から高校時代にかけて、いじめの被害にあっていたと報道されている。彼の内気な性格や分かりづらい英語の発音が、同級生たちから嘲笑の対象になっていたのだという。コロンバイン高校事件の容疑者も、体育会系の生徒たちから、さげすまれていた。  ところで、銃乱射事件が起こると常に、米国社会における銃規制の甘さが指摘される。今回も、またコロンバイン高校事件の時も、そうだった。だが、あくまで銃規制は、問題の出口を形成しているに過ぎない。重要なのは、なぜ引き金を引かねばならなかったかだ。マイケル・ムーア監督の映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』は、問題の出口しか扱っていなかった。  それでも、この映画には、コロンバイン高校は「ペインフリーノーマル」だったと語られるシーンが登場する。極端に正常という意味だが、文字通り痛々しいほど正常というニュアンスが込められている。チョ容疑者が過ごした学校もまた、「ペインフリーノーマル」だったのではないか。正常すぎる学校に、学生どうしの連帯は成立しない。  次に、バージニア工大事件と、映画『タクシー・ドライバー』(マーティン・スコーシージ監督)との類似性を指摘する意見がある。『タクシー・ドライバー』のトラビス(ロバート・デ・ニーロ)は、射撃訓練を重ねて4丁の銃を使いこなすようになった。銃の数が2丁だったことを除けば、チョ容疑者の場合も同じだ。ただ、売春婦アイリス(ジョディ・フォスター)を救ったトラビスは、メディアにより英雄として扱われた。米国史上、初めて敗北したベトナム戦争からの帰還兵であるトラビスに対して、一定の共感を示しうるだけのつながりを、当時の米国社会は有していたのだろう。  他方、チョ容疑者が英雄として扱われることはなかった。彼は、「オサマ(ビンラディン)のように僕の人生に9・11テロをやり、キム・ジョンイルのように人民を苦しめ、ブッシュのように僕の人生をメチャクチャにして(お前たちは)これで満足か」と、写真の余白に書き付けたという。しかし、9・11テロが米国社会を愛国心で染め上げた時期は終わりつつあるし、北朝鮮は米国の視野の外にあるだけだ。かといって、反ブッシュの気運が高まっているわけでは、必ずしもない。要するに、誰かを英雄視するだけの共通基盤を、現在の米国社会は持ち合わせていないということだ。  学校における連帯も、社会の共通基盤もないところに、事件は生起した。そう考えるなら、これは米国だけの問題ではない。 著者プロフィール (たかおか・けん)1953年徳島県生まれ。岐阜大学医学部助教授。日本児童青年精神医学会理事。専門は児童精神医学、総合病院精神医学、精神病理学。精神鑑定についても造詣が深い。著書に『引きこもりを怖れず(ウェイツ)『人格障害論の虚像』(雲母書房)など多数。 ※2007年6月1日 Fonte掲載