最新号トピックス

2008.12.01

第4回「社会の中の精神現象」 高岡健

タミフルによる異常行動(下)

 タミフル問題が錯綜したのは、厚労省研究班が異常行動との因果関係を、統計を用いて否定したからだった。タミフルを服用したインフルエンザ患者と、服用していない患者を比較しても、数の上ではあまり差がみられなかったことが、否定の根拠とされていた。  「癌との戦争」という隠喩が用いられる場合がそうであるように、医学的治療が国家防衛になぞらえて語られるとき、つねに登場するものは疫学(統計学的医学)だ。これをミシェル・フーコーは、難しい言い方だが「生―政治学」と名づけた。国家の操作する統計数値によって、人間の健康が管理される時代が到来した、という意味だ。  統計数値が示されると、納得したような気持ちにさせられる。だが、そこでいったん立ち止まって考えたほうがいい。統計が示す数値が役立つのは、私たちの経験と一致する場合だけだ。ある穏健な精神科医は、学術集会の講演で、そう断言していた。また、統計数値を読むときに必要なのは「棒グラフの一番高いところだけだ」と言う人もいた。私の記憶にまちがいがなければ、これは著名な元・通産(現在の経産)官僚の言葉だ。  すぐれた統計学者であれば、自らの手法の限界を心得て発言するだろう。そういう慎み深さが感じられない、居丈高な数値の公表に対しては用心すべきなのである。  それでは、どんな方法を用いるべきなのか。もっとも必要なのは、症例研究を一つひとつ積み重ねていくことだ。新聞報道の範囲でいえば、インフルエンザと診断されてタミフルを服用し異常行動を呈した場合と、結果的にインフルエンザではなかったにもかかわらずタミフル服用によって異常行動を呈した場合の、二種類が報告されている。これに、インフルエンザであってもタミフルを服用しなかった人が示した異常行動の例が加われば、考えられる三つの場合が出揃うことになる。これら三つの場合の症状や検査値の推移を、比較検討することが必須だ。今日の医学では、個人情報の保護という名目により、個別の症例研究があまりにも軽視されている。  もう一つ、忘れてはならない事実がある。14歳の小久保彩葉さんは、10歳の弟に処方されたタミフルをみて「こんな危ない薬、飲ませちゃいかんよ」と、強く制した。しかし、母親は、「大丈夫、飲まないとよくならないよ」と諭した。その4日後、今度は彩葉さんにインフルエンザの症状が出て、タミフルが処方された。服用後、彩葉さんは、マンションから飛び降りて死亡した。母親は、「私が薬を勧めてしまった」と、何度も自分を責めた(毎日新聞の連載による)。  14歳は、子ども自身が治療に同意する能力を、発達させつつある年齢だ。最終的には保護者の判断が不可欠だとしても、子どもの意見を聞き話し合うプロセスは、治療について自分で考える能力を発達させる。保護者と医師は、そのプロセスを省略してはならない。彩葉さんの死は、そのことを教えている。 著者プロフィール (たかおか・けん)1953年生まれ。精神科医、日本児童青年精神医学会理事、岐阜大学医学部精神病理学分野助教授。著書に『引きこもり狩り(雲母書房)、『引きこもりを恐れず』(ウェイツ)、『新しいうつ病論』(雲母書房)など多数。 ※2007年5月15日 Fonte掲載