最新号トピックス

2008.11.10

第1回「社会の中の精神現象」 高岡健

渋谷遺体切断事件(上)

 2007年1月、東京都渋谷区の歯科医宅で、浪人生による妹殺害事件が起こった。短大生で芸能事務所にも所属し、その後はグラビアアイドルを目指していた妹から、「歯科医になるのは人のまねだ」「夢がないね」と言われたことが引き金だったという。殺害後に兄は、遺体を切断しながら、他方で予備校の合宿に参加していた。  この事件をめぐっては、猟奇的報道も相継いだ。その一つに、兄と妹とのあいだの近親相姦や、死体への関心を推測する記事があった。しかし東京地検は、異例のコメントにより、これらをすべて否定した。  それでは、二人のあいだには、たがいに憎しみの感情だけしかなかったのだろうか。そうではなく、かすかに惹かれあう気持ちがあったと、私は思う。妹が入学した短大は、兄が懸命にパソコンで探し、やっと入学期限にまに合ったものであることが明らかになっているからだ。また妹は、自分が短大に入って兄を追い越したことを気にしていたという。  このとき思い浮かぶのは、夏目漱石の小説『彼岸過迄』に登場する、須永市蔵と千代子の関係だ。  須永と千代子は兄妹ではないが、いとこどうしに当たる。須永はものごとを複雑に考えて、なかなか実行に移せない「恐れる男」であり、千代子は率直に発言し行動することのできる「恐れない女」として描かれている。この二人は、ひそかに惹かれあいながらも、現実には交わるところがない。結局、二人のひそかな愛はすれちがい、千代子は須永に対し「あなたはひきょうです」と断定することになる。ここまでは、渋谷事件の兄妹とほぼ同じだ。しかし、須永は千代子を殺していない。なぜだろうか。  須永は、世間からひきこもりつつ、何ごとも自分の頭で考えようとしていた。それに対し、渋谷事件の兄は、両親の職業である歯科医を継ぐためだけに浪人を重ねていた。まさに「人のまね」だったことになる。高校の卒業アルバムに「髭生ゆる我が顎に出り父の影」と俳句を詠んだ兄は、父から歯科医以外の進路があることを示唆されても、父と同じ職業につくことを望んだという。つまり、父の重圧を自ら背負い込むことに、喜びさえ感じていたのだ。  観念の上で父を殺しておかねば大人になれないのに、彼にはそれができなかった。ここでいう観念の上での父殺しとは、父の持つ価値観や人生観を、長い時間をかけて否定し、超えていくことを意味する。そのために、人はいったんすべての人間関係を断ち切り、ひきこもらなくてはならない。  渋谷事件の兄が、もし徹底してひきこもる時間を貫いていたなら、悲劇は起こらなかったのではないか。引きこもりは、陰惨な事件を抑止し得るのである。(つづく) 著者プロフィール (たかおか・けん)1953年生まれ。精神科医、日本児童青年精神医学会理事、岐阜大学医学部精神病理学分野助教授。著書に『引きこもり狩り(雲母書房)、『引きこもりを恐れず』(ウェイツ)、『新しいうつ病論』(雲母書房)など多数。 ※2007年4月1日 Fonte掲載