最新号トピックス

2009.03.09

第18回「社会の中の精神現象」 高岡健

寝屋川教師刺殺事件(下)

 寝屋川事件では、簡易鑑定を別にすると、検察庁の段階と一審の段階で、計二度にわたる精神鑑定が行なわれている。おそらく、最初の鑑定に、誰かが不満を抱いたからだろう。いずれにしても、二つの鑑定は、いずれも少年が広汎性発達障害を有しているという点で、一致していた。  たしかに、広汎性発達障害の有無を検証することは必要だ。これまでには、障害が見逃された結果、法廷で自らを防御する力がないのに、それがあるかのように誤解されていることがあった。また、加害者の贖罪が強調される風潮のなかで、広汎性発達障害を有する人の独特な表現が、いまだ反省をしていないと誤解されることもあった。今回の判決は、「真摯な反省に至っておらず」と記した直後に、「この点は広汎性発達障害の一つの表れと考えられ、被告人に不利な事情として重視することはできない」と述べているから、一歩だけ理解が進んだとはいえるかもしれない。  だが、他方では、広汎性発達障害という記号が氾濫することによって、見るべきものが見えなくなっている現状があるのではないか。前回に記した、なぜバレンタインデーだったのかという疑問も、その一つだ。そのほかにも、以下のような点があげられる。  少年は、逮捕されてからも、「弁護士がスパイではないか」、「ある宗教団体が穴から見張っている」といった妄想を抱いている。このような妄想にまで至る精神状態は、現実の中で追い詰められ、救援が得られない状況で発生するものだ。広汎性発達障害は、せいぜい妄想が相対的に発生しやすくなる一因でしかない。だからこそ、何が少年をそこまで追い詰めたのかが、解明されねばならないだろう。検察側は、S教諭への逆恨みを指摘していたが、記号としての発達障害が前面に出るにつれて、この点に関する議論が後景へ押しやられてしまった。しかし、「逆恨み」という言葉の当否は別にして、くり返されるいじめへの不適切な対処が、少年を妄想状態にまで押しやっていたことは疑いないと思える。  ところで、二審判決の大部分は、少年院での処遇が適切か、それとも少年刑務所かという議論に費やされている。現行の少年刑務所が、発達障害に関する経験や支援体制を欠いている以上、少年刑務所へ送ることを決めた判決は不当だといえる。ただし、このような議論は、少年刑務所を充実させて、どんどん成人と同じ実刑判決を下せばいいという流れへと、行き着くことは必至だ。  その意味でも、今回の判決は、広汎性発達障害を有する少年が惹起した犯罪を裁くうえでの、悪しき定式を確立する結果をもたらしたのではないか。すなわち、記号としての発達障害を見出しても、それは裁判に影響するものではない。真摯に謝罪できるよう、少年刑務所に送るだけだ。そういう定式である。これを打ち破るには、裁判以外の力が必要だ。そのためには、学校と家庭で追い詰められた少年たちの心に関しての、記号化されないリアリズムに基づく理解が前提になる。 著者プロフィール (たかおか・けん)1953年徳島県生まれ。岐阜大学医学部助教授。日本児童青年精神医学会理事。専門は児童精神医学、総合病院精神医学、精神病理学。精神鑑定についても造詣が深い。著書に『引きこもりを怖れず(ウェイツ)『人格障害論の虚像』(雲母書房)など多数。 ※2007年12月15日 Fonte掲載