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2009.03.02

第17回「社会の中の精神現象」 高岡健

寝屋川教師刺殺事件(上)

 2005年のバレンタインデーに、大阪府寝屋川市の小学校で、教諭ら3人が包丁で刺され、うち1人が死亡する事件が起こった。刺したのは、この小学校を卒業した、当時17歳の少年だった。私の覚えにまちがいがなければ、少年は、小学校と中学校でいじめの被害にあい、不登校の期間が長かったと報道されていた。また、中学を卒業後まもなく大検に合格していて、彼に勉強を教えたのは姉だったはずだ。  少年は逆送され、一審では懲役12年の判決を受けた。そして、このたび下された二審判決は、一審を上回る懲役15年というものだった。  それにしても、どうしてバレンタインデーだったのか。私が重要と感じるこの疑問については、判決要旨のどこにも記されていない。ただ「被告人は、特定不能型の広汎性発達障害を有し、犯行当日に特殊な心理状態を生じさせていた」と、記されているのみだ。  では、「特殊な心理状態」とは何か。佐藤幹夫氏の著書『裁かれた罪 裁けなかった「こころ」』は、寝屋川事件に関して、いま入手しうるもっともまとまった資料だ。そこで、この本から以下に、おそらく争いのない事実だと思われる点のみを、拾い出すことにしよう。  まず、小学校一年生のとき、少年は万引きをして母親に叱られた。2年生では、毎日のようにいじめられたが、担任のS先生は取り合ってくれず、母親からは強くなるよう言われた。4年生になると、姉が摂食障害に罹患したため、少年の不登校の状況を、母親は正確に記憶していないという。このころ、少年は「部屋に盗聴器が隠されているのではないか」と考えるようになった。なお、いじめは6年生になっても続いたが、教師の対応は、少年にとっては不十分なままだった。  中学では、いじめる側にまわったこともあった。2年生からは、いじめられ学校が怖くなり、7月以降、登校しなくなった。級友から年賀状がくると「連中が何かを企み、ようすを探るためではないか」と思った。卒業後、大検に合格したのち、姉の拒食症が再発した。一方、少年には、交番に入って「革命を起こしに来ました」と話すといった言動がみられた。犯行の前年、少年は病院で、一人の女性と知り合った。しかし、その女性には、別につき合っている男性がいた。事件当日、少年は、姉からもらったバレンタインチョコレートを持って家を出た。「S先生、刺す」という言葉が浮かび、小学校へ向かったのだ。  誰からも受け止めてもらえなかった、少年の姿が浮かび上がってくる。チョコレートをくれた姉も、摂食障害に苦しんでいる。そのようななかで、少年は「特殊な精神状態」、つまり妄想と意味不明な言動を呈するに至っている。これらの過程には、広汎性発達障害から単線的に説明することができない、入り組んだ構造が含まれている。  誰からも愛されていないと感じた少年は、愛が渦巻いていると仮構された日に、人を刺す行動に出た。こうしてみると、犯行日がバレンタインデーだったのは、偶然ではない。 著者プロフィール (たかおか・けん)1953年徳島県生まれ。岐阜大学医学部助教授。日本児童青年精神医学会理事。専門は児童精神医学、総合病院精神医学、精神病理学。精神鑑定についても造詣が深い。著書に『引きこもりを怖れず(ウェイツ)『人格障害論の虚像』(雲母書房)など多数。 ※2007年12月1日 Fonte掲載