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2009.01.26

第12回「社会の中の精神現象」 高岡健

光市母子殺害裁判(下)

 遺族である本村洋氏の話の中から、私の記憶に残っている部分を、もう一つ書き留めておこう。本村氏は、ある米国の犯罪加害者が死刑と直面して、はじめて真に謝罪することができたようすを語っていた。だから、死刑は贖罪の心をもたらすのだという。記者会見でも同じく「被告人に死刑判決が下り、反省し慟哭することを願っている」と述べていた。  だが、私が被害者の遺族なら、たぶん、そうは考えないだろう。加害者が自らの死を目前にして罪を悔いようが、死罪を免れて更生しようが、私にとってはどうでもいいことだ。ただ、亡くなった私の愛しい人が成仏してほしいと、ひたすら願うだけだ。  もちろん、お前は遺族の立場になったことがないから、そう考えるだけだろうと言われれば、その通りと答えるしかない。また、私の考えが普遍的であるかのように、主張するつもりもない。しかし、私のような考え方も十分ありうることだけは、指摘しておきたい。  ところで、逮捕直後の報道によるなら、加害者のAは、「人間として大変恥ずべきことをした。今は涙が止まらない。胸が痛んでいる」と述べていた。にもかかわらず、Aに反省のようすが見られないと言われるようになったのは、拘置所で知り合った人に宛てて書いた手紙に「被害者さん(遺族)はちょうしづいている」(原文より抜粋)といった内容が、記されていたからだ。私も、その手紙のコピーを見せてもらったが、いやな気持ちにさせる文面だった。どちらがAの真の気持ちなのか。Aの気持ちは変遷しているのか。それを知るためには、家庭裁判所段階のものを含む、全記録を検証することが必要だ。  最近の被告人質問でAは、強姦目的を否認し「(自宅で)父と再婚した義母に抱きついて甘えていたが、『仕事に遅れる』と言われて寂しかった。人と会話して寂しさを紛らわしたかった」「とにかく甘えたいなという気持ちを持った。頭をなでてもらいたい気持ち。それで、弥生さんの後ろに回りこんで抱きついた」と陳述している。このような母性願望説を、家庭裁判所の記録から窺い知ることができれば、弁護団の主張には説得力が生じる。  だから、差し戻し審の裁判長が、これまで明らかでなかった逮捕時からの全供述調書を証拠採用したのはいいことだ。裁判は加害者のものではないし、加害者と被害者だけのものでもなく、国民のものだ。私たちは、古館伊知郎のように被害者の味方を装う以前に、もっとなすべきことがある。それは、事件の背景に横たわる疑問を解明することだ。  たとえば、自殺した実母に対する父親からのドメスティックバイオレンスが、Aと実母との関係を異常なまでに濃くしていったのか。そうだとしても、自殺した実母の代理に、はたして継母や弥生さんがなりうるのかどうか。同様の犯罪を抑止するためであれば、事件直後の記録を手がかりにして、それらの疑問を解明する以外に方法はない。家庭裁判所の記録に手がかりが含まれている可能性は、大いにあると私は思う。 著者プロフィール (たかおか・けん)1953年徳島県生まれ。岐阜大学医学部助教授。日本児童青年精神医学会理事。専門は児童精神医学、総合病院精神医学、精神病理学。精神鑑定についても造詣が深い。著書に『引きこもりを怖れず(ウェイツ)『人格障害論の虚像』(雲母書房)など多数。 ※2007年9月15日 Fonte掲載