最新号トピックス

2009.01.12

第10回「社会の中の精神現象」 高岡健

教育再生会議第二次報告(下)

 教育再生会議の第二次報告は、「学力向上」「徳育」「大学・大学院再生」の3つの部分から構成されている。  まず、学力向上の方針は、「ゆとり教育」が学力を低下させたという、根拠のない認識に基づいて提起されている。なぜ根拠がないかは、次のような例を見るだけでもあきらかだ。現在の安倍内閣には、国語力が不足している大臣が、少なくとも2人いる。一人は柳沢伯夫厚労相で、国会答弁でみずからそれを認めた。もう一人は、ほかならぬ安倍晋三首相で、加藤紘一議員からそう指摘された(もっとも、安倍首相はのちに、菅直人議員に対し同じ指摘を投げかけた)。彼らはいずれも、ゆとり教育で育った世代ではない。  次に、徳育は、「偉人伝や古典」「芸術・文化・スポーツ活動を通じた感動」によって、実施するらしい。偉人や古典をなめてはいけない。偉人は、つねに時代の徳育に抗って、新しい地平を切り開いてきた。また、古典は、時代の矛盾を鋭敏に察知するなかから生まれた、当時の先端思想にほかならない。芸術・文化も同じだ。一見、徳育と結びつきやすそうなスポーツも、民衆に愛された力道山のプロレスを考えればわかるように、徳育的体制との相克を孕んでいた。  付記するなら、報告書には、脳科学や社会科学などの知見を踏まえ、教える徳目の内容と方法について検討するとの記載が含まれている。脳科学者や社会科学者は怒ったほうがいい。脳が徳目を決定するなどといった、線形数学のレベルで非線形の脳を理解してもらっては困る。また、社会科学は本来、社会矛盾を個人化することに反対してきたはずだ。  さらに、大学・大学院改革は、経済財政諮問会議や規制改革会議などを交えた、合同会議で取りまとめを行なったという。要するに、竹中平蔵氏や宮内義彦氏のような人々が主導してきた会議と、同列の議論がなされたに過ぎないということだ。竹中氏も宮内氏も、企業組織のみを繁栄させ、民衆から経済的・精神的ゆとりを奪ってしまった。彼らと同列の議論が生んだ報告書を、民衆が支持するわけがない。  はっきり言っておくが、大学全入時代の到来は、大学を含む学校システムを拒否する人間が増えることと同じくらい、いいことだ。森鴎外が小説『青年』を書いた時代であれば、大学は、その先に生活があると信じて、ひたすら駆け抜ける場所だった。全入時代の大学は、一部を除き、生活と無関係なモラトリアムの時期を過ごしうる場所になった。こういうムダに見える時期こそが、はかりしれない豊かさを人間にもたらす。  ただ、ここにも経済的暗雲がたちこめつつある。地方出身で首都圏の大学に通う学生の親たちの多くが、学費・住居費を賄うために借入金を膨らませているのだ。再生会議は「優秀で意欲ある学生に対する奨学金」などという吝嗇なことを言わず、学生であろうとなかろうと、一定年齢のすべての若者に対し、生活資金を保証する提案をなすべきだ。そのためにならば、財界人が会議に名を連ねている意義もないとはいえない。 著者プロフィール (たかおか・けん)1953年徳島県生まれ。岐阜大学医学部助教授。日本児童青年精神医学会理事。専門は児童精神医学、総合病院精神医学、精神病理学。精神鑑定についても造詣が深い。著書に『引きこもりを怖れず(ウェイツ)『人格障害論の虚像』(雲母書房)など多数。 ※2007年8月15日 Fonte掲載