最新号トピックス

2009.01.05

第9回「社会の中の精神現象」 高岡健

教育再生会議第二次報告(上)

 2007年6月1日に、教育再生会議の第二次報告が公表された。この会議を構成する「有識者」の名前を見るにつけ、嫌な顔ぶれだという感想を禁じえない。財界人のほかは、学問が好きなのか名誉が好きなのか分からないような学者や、みずからの狭い経験を嬉々と語ることしかできないメンバーで、固められているからだ。  有識者会議を利用する政治の始まりは、中曽根政権にまで遡る。もっとも、中曽根時代の審議会政治は、まだ法律に根拠を持っていた。いまの安倍政権による有識者会議は、私的諮問機関だ。このあたりについては、6月11日の毎日夕刊が取り上げていた。記事のなかで、斎藤貴男氏は「社会的に成功しただけで専門性もない人が、個人的経験だけでものを言う」と指摘している。吉武輝子氏も、「国民の意見を聞いた言い訳に使うのはおかしい」と述べている。国民の意見を聞くなら、何はさておき、硬直した義務教育システムに苦しむ子どもや、希望者全入時代の大学生から意見を聞くべきだ。ところが、政府はもとより、再生会議には、子どもや学生の声に耳を傾けようとする姿勢が、まったく存在しない。  ところで、再生会議のなかから、比較的年配のメンバーか女性メンバーが選挙に借り出され、そして使い捨てにされるだろうと、私は密かに予測していた。私の予測はかならずしも当たらなかったが、ヤンキー先生こと義家弘介氏が参院選に自民党から立候補した。だが、社会のなかで苦しむ子どもや若者の心に、ヤンキーの経歴が役立つと考えるなら、それは大いなる幻想だ。なぜなら、その考え方を拡大していくと、社会の底辺で苦しむ若者をもっとも吸引しうる存在は、ファシストにほかならないという地点にまで、行き着くからだ。ちなみに、再生会議が提唱しつつも、いまのところ実現していない「親学」は、国家による私的領域への介入という意味で、ファシズムそのものというしかない。  教育や環境そして健康といった領域では、保守的な人々の意見と進歩的な人々の意見が一致し、私的領域への介入が揺るぎない正義であるかのような、錯覚が生じやすい。きれいごとの主張の影に、国家による私的領域の支配が隠れていないかを見落としてはならない。その意味にかぎっては、ヤンキー先生よりも夜回り先生こと水谷修氏のほうが、まだましだ。毎日新聞(5月21日「闘論」)には、ヤンキー先生と対比するかたちで、夜回り先生の主張が掲載されている。「政府がやるべきことをせず、親に責任を押しつけるような発想」を、彼は非難している。国家と私的領域が峻別された、正論というべきだろう。  最後に、再生会議の報告書には、「子育てにかかわる科学的知見の例」が、別添されている。科学的知見とは、「朝食をきちんと食べる習慣を身につけさせよう」「2歳以下の子どもには、テレビ・ビデオを長時間見せないようにしましょう」ということであるらしい。これらが真に科学的であるのかどうか、私は知らない。たしかなのは、朝食を食べる習慣が身につかない背景や、テレビ・ビデオを長時間見せることになる背景を考察しないかぎり、国家による私的領域の支配を助けるだけの結果に陥るということだ。 著者プロフィール (たかおか・けん)1953年徳島県生まれ。岐阜大学医学部助教授。日本児童青年精神医学会理事。専門は児童精神医学、総合病院精神医学、精神病理学。精神鑑定についても造詣が深い。著書に『引きこもりを怖れず(ウェイツ)『人格障害論の虚像』(雲母書房)など多数。 ※2007年8月1日 Fonte掲載