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2008.08.25

第5回「子どもの現在」 保坂展人

 長崎空港では佐世保市議の早稲田矩子さんが迎えてくれた。空港から大村収容所の脇を通り、海沿いに走った。濃紺の海が光を受けてまばゆい。  早稲田さんは長いあいだ、障害をもった子どもたちの先生だった。そのせいか、先生の職業病とも言える「決めつけた言い方」はほとんどしない。また、議員にありがちな「権威ぶる」姿勢もまるでない。自然体のふつうのオバサンに見えて、行動力がすごい。  佐世保にまったく縁のない私が学校に出向き、関係者の話を聞き、そして取材を続けることができたのも、早稲田さんの協力あってのことだった。驚いたのは、地元の教育現場に長くいながらも、昨年の佐世保事件(小学生女児殺害事件)については、一貫して「まるで、わからない」という立場に徹していたことだ。  だからこそだろう。ミニバスケ部が「社会体育」として親の手で自主運営されていること、厳しい練習のクラブを辞めることが意外と子どもにとって大変な選択であることなど、子どもたちの日常を見るうえで欠かせない視点をいっしょに探してくれた。  私たちは東京世田谷区で4月末、『佐世保事件から私たちが考えたこと』と題するシンポジウムを行なった。佐世保現地からは、毎日新聞佐世保支局の川名荘志さんと、早稲田さんの二人が参加。「東京の人が真剣に議論しているのを聞いて、ぜひ、佐世保でもこうした話し合いを実現したい」と発言してくれた。  8月12日、佐世保駅前の「アルカスさせぼ」でシンポジウムは開かれ、100人以上の人が集まってくれた。私と内田良子さんがゲストで、親の立場、教師の立場、保健室の現場、また障害を持つ親の立場と、多様な人たちがパネリストとなって「昨年の事件をどう受けとめたか」について発言した。  ほとんど地元の人たちが集まったシンポで、取材報告と司会進行をするのは、大変にやりづらい作業だった。参加者の人たちは、外来者の私より、子どもたちの日常の細かな点については、ずっとよく知っているはずだ。  私は、加害少女がミニバスケ部の選手として活躍しながらも、もっと勉強すべきだという親との板挟みになって、結局は社会体育(部活)をやめたが、そこに注いできたエネルギーを昇華できなかったこと、学校でまわしていた交換日記の中心にいた加害少女に対して、被害少女が「交換日記から外れる」というメモを事件の直前に渡していたこと、バスの便が悪い山間部に住んでいたこともあって、家を自由に飛び出して外出できる状況になかったことなどを報告した。  内田良子さんは「長崎県は全国的にみて不登校の数が少なく、不登校がしにくいことと、佐世保事件以後も子どもたちの悲劇が続いていることを重ね合わせて見るべきではないか」「ミニバスケ・交換日記で居場所を失い、孤立を深めていた彼女が、自らの生命を絶つか、他者への殺傷に向かうかは紙一重ではなかったか」と話した。  佐世保の街で、たとえ小規模でも事件を問い、語り続けることは、大切ではないか。全国に広がっているチャイルドラインが、もし佐世保の街にあったら、あるいは孤立と暴力衝動に突き動かされる前に、その子の声を受けとめることができたかもしれない。行政が悪い、学校が悪い、子ども、親に問題があるなどと言う前に、大人が力を合わせて子どもたちが駆けこめる場所、SOSを発信できる場をつくることが大事ではないかと、私は発言した。 ※2005年9月1日 Fonte掲載 ■著者プロフィール (ほさか・のぶと)1955年生まれ。中学時代、創刊した新聞が校則違反とされ、内申書に記載された「政治・社会運動」を理由に、高校は不合格。16歳から「内申書裁判」を起こした。80年代より、学校問題のルポを次々と発表、教育ジャーナリストとして活躍。市民運動にも関わってきた。96年秋の総選挙で社民党東京比例区で当選。議員として追及したテーマは、学校・子どもの問題をはじめ、平和・環境問題、年金問題など多岐にわたる。「児童虐待防止法」の成立、チャイルドラインの実現にも奔走。2003年、総選挙で破れるも、現在、ジャーナリストとして活躍中。著書に『先生、涙をください!』(集英社)、『学校に行きたくない』(集英社)、『元気印青春論』(大和出版)、『いじめの光景』(集英社文庫)、『学校を救え!』(ジャパンタイムズ社)など多数。