最新号トピックス

2008.08.04

第2回「子どもの現在」 保坂展人

どうして、血なまぐさい事件が連続して起きるのだろう。教室の中に爆発物を投げつけた少年、両親を殺してガス爆発をしかけた少年、力で君臨していた兄を殺してしまった少年……。 ひと昔前ならマスコミが大騒ぎしたような事件が、連日のように起きるのでどこか私たちも感覚麻痺に陥っているのかもしれない。昨年の佐世保市大久保小学校で起きた同級生殺害事件は女の子だったが、このところ連続して起きている事件は、男の子によるものだ。男の子のつらさは、まだまだこの社会に「男の子なんだから」というプレッシャーが強いこともあるのだろう。それぞれの事件後に伝えられる学校側の記者会見では、「加害者の生徒は目立たないよい子だった。学校としては思い当たることはない」と戸惑っているようすも重ねて見た印象がある。 事件によっては、いじめの影も色濃い。小学生のころから中学生と、執拗ないじめを受けて傷ついた少年たちが、その深い傷を取り払うように「暴発」する。また「家族」が安住の場ではなくて、つねに責められ緊張を強いられることも共通点だった。 この時代に「ごくふつうに学校に行っている男の子」がどれだけつらいかということを、きちんと見ていきたいと思う。「学校に行かない」「自分の家、部屋にこもる」という選択をしにくいか、考えたことすらない環境にいる子どもたちが追いつめられたとき、「学校」や「家」を爆破するしかないのか。 悔しさをかみしめて黙り、苦痛に耐え忍ぶ日々を重ねる。そのときに、痛みを分かち合える誰かがそばにいたら……という点が気になる。また、家がホッと一息抜ける場になっていなくて、外の空間よりも緊張していなければならない場になっていたのではないかということも感じる。 近所の人たちが「とてもいい子でした。家のこともよく手伝って、しっかりあいさつも返してくれましたよ」と証言し、「なぜ、あんなよい子が」と不思議がる人々が多いが、逆である。「厳しい家庭」で「いい子」を演じていたからこそ、ストレスが限度まで蓄積して、暴発したのだ。 自分が自分であることを主張し、苦痛が限度を超えたらSOSをしっかり発信することが大切だ。その場面では家が揺らいでも、多少の衝突はあっても自分の声を発することができればと思う。 ひとつひとつの事件の背景はちがうし、状況もちがう。けれども、子どもたちが日々「よい子」であることを求められて競争に勝ち抜く強さを期待されている日常のなかに、ホッと一息つける休憩所がなくなっているのではないか。休憩所があれば、誰かが隣にいて言葉を交わすことができれば、そんな思いが私にはある。 ※2005年7月15日 Fonte掲載 ■著者プロフィール (ほさか・のぶと)1955年生まれ。中学時代、創刊した新聞が校則違反とされ、内申書に記載された「政治・社会運動」を理由に、高校は不合格。16歳から「内申書裁判」を起こした。80年代より、学校問題のルポを次々と発表、教育ジャーナリストとして活躍。市民運動にも関わってきた。96年秋の総選挙で社民党東京比例区で当選。議員として追及したテーマは、学校・子どもの問題をはじめ、平和・環境問題、年金問題など多岐にわたる。「児童虐待防止法」の成立、チャイルドラインの実現にも奔走。2003年、総選挙で破れるも、現在、ジャーナリストとして活躍中。著書に『先生、涙をください!』(集英社)、『学校に行きたくない』(集英社)、『元気印青春論』(大和出版)、『いじめの光景』(集英社文庫)、『学校を救え!』(ジャパンタイムズ社)など多数。