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2008.07.21

最終回 「親の気持ち 子の思い」 青木悦

 「言ってもわからないときは、1、2発ぶん殴ってもらっていいですよ」  「先生が腰砕けだから、学級崩壊なんか起きるんです。歩きまわる子は叩いてもいいんじゃありませんか?」  「叩くことはすごい効果があります。どんなに言ってもわからなかった子が、叩いたとたん、おとなしくなりました。学校も忙しいんだから、効果的にやらなきゃ進んでいかれないと思います」  これは全部、親の立場の人の声だ。それも若い親たちの言葉。「子どもを殴らないでほしい」「殴る権利はない」「殴って育てるのは百害あっても、一利なし」など、さんざん語った後にこういう言葉が返ってくる。自分の語る力のなさと、おそらくは、その部分ではまったく聴く耳をもっていない人たちの増加に、少なからず落ち込む。  これらの言い方は、親が子育てのなかで子どもを殴ってしまうことについてではない。学校で先生が生徒を殴るということを容認あるいは推奨する言い方だ。つまり「体罰」をよしとしているのだ。  こういう人たちに対し、学校教育法第11条も持ち出して説明することが難しくなった。教育基本法「改正」が議論されているときはまだ、その範囲内で議論できた。私は今、ジリジリと土俵際に追いつめられている思いがある。  安倍首相は次の段階として教育関連三法(学校教育法、地方教育行政法、教員関連免許法)改正案を、いま国会に出そうとしている。そのなかの学校教育法第11条には「校長及び教員は、教育上必要があると認められるときには、監督庁の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない」とある。いわゆる「体罰禁止」条項である。これが「改正」されるとどうなるのか、いまあちこちの講座などで語るのだが、そこで、先述のような体罰容認論に出くわすのである。  そういうひとりの親と、みんなの前でやりあった。「子どもは叩かなければダメ」と言うその女性に、私は「叩くとそのときはおとなしくなるから、つまりてっとり早いから叩いてるんじゃない?」と聞いた。彼女は「それもあるけど…私も叩かれて育ったから…」と言う。「親や先生に叩かれて、くやしくなかった?」と問うと「小5ぐらいからは腹が立った。だから叩かれるたびに今に仕返ししてやると思っていた」と言う。「あなたの子どもさんも、そう思っているかもしれないよ」と言うと、彼女はちょっと焦った目だった。そして「でも、そうやって子どもは育つから…」とつぶやいた。2人の話し合いはずっと続いて、その間の1コマ1コマを彼女が悔しかった、苦しかったと言って思い出し、怒りを表現したとき、終わった。彼女はこう言った。「私、怒ってたんですね。親にも先生にも…。怒っていいんですよね。私のなかの怒りをそのままわが子に出していたのかもしれない。なんて、ひどいことを…」。  体罰容認論のうしろに、叩かれて育った人たちの行き場を失った怒りがあると感じる。その怒りの行き先を、ともに見つけ、まちがっても子どもに向けないようがんばりたい。(おわり) ※Fonte2007年2月15日号掲載