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2008.07.07

第10回「親の気持ち 子の思い」 青木悦

 正月に、ふだん無沙汰の親兄弟が集まった。それぞれが親の家を出て、すでにうん十年。生き方も価値観も、いささかオーバーに言えば思想もまったくちがっている。そういう人間たちが、なぜか正月には集まる。共通の話題もないし、いっしょに見るテレビもあまりにもくだらない番組が多くて、私はひたすら正月が終わるのを待つ。  今年はその“家族”のあいだでやけに盛り上がった話題があった。1月1日付新聞に報道されたが、テレビニュースはその前に報じていた「2歳児焼死、母スノボ」という事件だった。“家族”たちは「信じられない」「2歳の子をひとりで残して、よく遊びに行けたものだ」「このごろの母親は……」「いや、母親だけの問題じゃない、父親はどうしていたんだ」、カンカンガクガク――。  12月30日深夜、埼玉県和光市でアパートの一室が燃え、2歳の男の子が死んだ。母親(24歳)と2人暮らしで、その母親はその日の朝から友人らとスノボーに出かけていた。という。なぜひとりで置いていったのだろう? 誰か頼める人はいなかったのだろうか?  仕事だったらあずけられたのかもしれない、スノボーという遊びだったから言えなかったのかもしれない、などなど私は考えた。  世間を代表するような、正月にだけ集まる“家族”のなかでは、ひどい母親、という“判決”で話は終わった。そのなかで「動物だったら必死で母は子を育てている。人間の母親はなぜこんなにもやさしさを失ったのか」という意見もあった。この場だけではなく、どこでもよく言われることだ。「人間の母親は動物以下だ」―。  この言い方はほかの動物をバカにしている。私は主としてNHKのBSなどがよく放映する野生の生き物に関する映像をよく見る。家のなかでは「動物モノの悦っちゃん(60歳すぎて悦ちゃんもないものだが)」と言われたりもする。言わば、阪神タイガースと野生動物モノだけが、テレビを見るときの関心事ということだ。  この正月も、民放のお笑い番組は耐えられないので、自室にこもって動物モノを見た。そのなかに鯨の親子が、出産を終えた暖かい海を出て、北の冷たい海に旅立つ場面があった。「母クジラは片時も子クジラから離れません」というナレーションが胸に残る。太陽の消えた南極で何も食べず吹雪のなか、4カ月間卵を抱きつづける皇帝ペンギンのオス(こっちは母ではなく父。野生動物にはオスが子育てするものもたくさんある)の姿もあった。  そして思った。スノボーに行って2歳の子を「放置した」人間の女性と、野生動物の子育てを比べても何もならないと……。私たち人間が、男でも女でも関係なく失ったものは、思いやりでも愛でもましてや母性などというものでもない。失ったものは生き物としての力だということ。社会というシステムをつくって生きはじめた人類は、すでに自然のなかで、単独で生きることなどできない。ならば社会が「助け合い」というかたちで機能しなければ、次の世代に命をつなぐことはできないのである。母を責める前に、やらなければならないことがある。そう思った新年だった。 ※Fonte2007年1月15日号掲載