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2008.06.23

第8回「親の気持ち 子の思い」 青木悦

11月17日付の文部科学大臣からの手紙が全国の子どもたちに、学校などを通じて配られた。「いじめ」が大騒ぎになっていることに対し、直接呼びかけたものらしい。「文部科学大臣からのお願い」は、「未来ある君たちへ」と呼びかける。ここから私はもうムッとする。なぜ多くの子どもが「いじめ」をするのか。なぜ子どもが自死したのか。それらをまじめに考えたら、子どもたちが「未来」を感じることができないからではないのか。そこで苦しむ子どもたちに平気で「未来ある君たち」と呼びかけるこの無神経さに、あぁ、もうダメだと、思った。さらに、「弱い立場の友だちや同級生をいじめるのは、はずかしいこと」と書いた後に、「君たちもいじめられる立場になることもあるんだよ」と続く。「いじめ」がその立場をいれかえることもあることは知っているらしい。 それならどうして、「いじめる側を出席停止に」などという言葉が、教育再生会議で出てくるのだろうか。同じ子どもが「いじめられる側」にも「いじめる側」にもなるし、そのなかで多くの子どもたちは心を痛めているのだ。 「いじめる側を出席停止に……」という文言が新聞に出た日、ある小学校では2年生の男の子が2人、「○○君をいじめました。許してください」と、担任に言ってきた。担任は○○君を呼び、3人を和解させ、いじめられた子もとても元気にすごしていたというが、この2人の男の子はその日の朝、親から「いじめちゃだめだよ。いじめた子は学校に行けなくなるんだよ」と言われ、こわくなってのことらしい。担任の先生は「小学校低学年ぐらいには脅しの効果はあるみたいです。でもこの子たちがやってたのは、いじめというよりいつものケンカなんですよ。○○ちゃんだって、ほかの子にやっているし……。何か、現場からはるか離れたところで大さわぎしているような気がします」と語っていた。 しかし、そういう脅しの効果が「出席停止」という言葉にはあるのだ。だったらなおのこと、「未来ある君たちへ」呼びかける文のなかに、「君たちもいじめられる立場になることもある」なんて書いてはいけないと、私は思う。これではまるで、脅しの文章になってしまう。 文部科学大臣みずからが書いたわけではあるまい。文部官僚の一人が下書きし、いろいろな人の目を通って、できるだけわかりやすく、やさしい言葉で……などのやりとりがあって、“苦心の作”としてこの文章はできたのだろう。それはよくわかる。 ただ、一番大切なことが抜けている。子どもたちの現状がわかっていない。なぜ「いじめ」をやるのか、なぜ「いじめ」られてもノーと言えないのか、なぜ死ぬまで追いつめられるのか、それらのなかのひとつもわかっていない。もうすこし実態がわかっていたら、そしてこうなったことへの責任を感じていたら、「学校をこんなこわい場所にしてしまって、すみませんでした。みんなが楽しく来れる場にするまで、苦しい人は休んでください。いのちの方が大切です」ぐらい言えそうなものだ。真に思いやりのある大人なら……。 ※Fonte2006年12月15日号掲載