最新号トピックス

2008.05.19

第3回「親の気持ち 子の思い」 青木悦

「5歳のわが子が、母親である私のことを、ジロリと見返すことがあります。とても冷たい目つきで、もしかして病気ではないかと眼科にも行ったのですが何もないと言われて。何かココロの病気ではないでしょうか?」――こんな相談が多くなった。 「ココロの病気」っていったいどんなことをいうのだろう。5歳の子どものココロの病気って、どういう中身なのだろう。 とりあえず、「子どもさんを抱きあげて、笑いかけてみてください」と答える。すると「それだけでいいのでしょうか。抱いたら喜んだし、笑いかけたらうれしそうに笑い返したのですが……」と言う。私のほうが混乱してしまう。それ以上、何が不安なのだろう? 子どもを“専門家”に見てもらいたい、もっとはっきり言えば「分析」してもらいたい、そしてわが子が「正しく」育っているかどうか「判定」してもらいたい、そう思う人が増えていると実感している。 考えてみればとても悲しいことだ。子どもとの関係に「正しい」も「誤り」もないはずだし、それをほかの人がきちんと判断できるはずもない。しかしそう思う人が増えた背景には、たとえば子どもが不登校をしたとき、「子どもの育て方に問題があった」とか「親子の関係にゆがみがあったのでは?」とか言われてきた。子どもが事件を起こしたとき、「家庭に問題がある」「親が悪い」などさんざん言われてきた。 家庭なんてさまざまな実態があるのが現実だし、親なんて、はじめから完ぺきなはずもない。もともと「不完全」なのが親であり、家庭なのだ。そこに子どもの問題のすべての原因を押しつける言い方に、怒りとともに疑問を投げつけたい。しかし私も含めて多くの親は、不安のなかで子育てしているから、子どもに「ほかの子とちがう何か」があらわれたら、それだけでもう、私のやり方のどこかに問題があったのではないかと思ってしまう。 家庭や親に「不完全」感を抱かせるのは何なのか、どこにいる誰なのか、それを考えたいと思う。その正体を見つけたいと思う。 “子育て不安”と言われるもののほとんどが、「うちの子、ほかの子と、どこかちがう、どこか変」と表現されるものだ。少なくとも私のところに届くその種の不安のほとんどは、ほかの子との比較においての不安である。 問題の根っこはきっとここにあると、私は思う。ほかの人間と「ちがう」ことはいけないことと、多くの人が思いこまされてしまった。もともと人間が「同じ」はずはないのに、「同じ」あるいは平均の範囲内(これもじつにあいまいな範囲なのだが)であることをよしとする考えほうが広く、深くしみこんでしまった。 子どもを「同じ」ところに置くことで一番トクをするのは誰なのか、それを考えていけば正体が見えてくる。管理する側であり、抑えつける側の人間である。「日の丸・君が代」をどういう態度で見るかを調べることは「同じ」かどうかを判断するメヤスなのだ。 若い親たちの子育て不安のうしろに、「日の丸・君が代」を強制する側の意識があることを見抜いて、語っていきたい。わかりやすいことばを失うことなくと願いつつ。 ※Fonte2006年10月1日号掲載