小2の娘がコロナ禍で不登校に。 支えになった周囲の言葉とは

 全国一斉休校が明けた昨年6月ごろより、小学校2年生の娘の「登校しぶりが始まった」という吉田まき子さん(仮名)。お子さんのようすや親の支えになった周囲の反応はなんだったのか、執筆いただいた。

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 娘は保育園のころから登園しぶりがあり、慎重かつこだわりも強い性格だったこともあって、「小学校6年間、何事もなく通うのはむずかしいはず!」と、どこかで覚悟はしていました。入学してからも帰宅後にランドセルを放り投げて怒り出したり、「宿題ができない!」とパニックを起こして大騒ぎをしたりしながら、本人なりのスピードで学校に慣れていきました。

 なんとか慣れてきたかと思った9月ごろに「給食をのどに詰まらせてから、飲み込むのが怖い」と言い出し、小児科で「心因性の嚥下困難」との診断を受け、担任や養護教諭、特別支援コーディネーターなどに面談も行ない、ようすを見ながらすごすことに。

 思い返せばあのころから娘にとって学校は「楽しいけど疲れる場所」であると、私自身感じていました。

休校明けの変化

 小1の2月末よりコロナ禍による休校が始まり、小2の6月に通常登校が再開すると、娘のようすに変化がありました。6月中は、どうにか1時間目のうちに滑り込んでいましたが、7月には朝、登校しようとすると「お腹が痛い」と動けなくなることが続き、ほとんど登校しないまま夏休みに突入。

 当時の担任からは「1時間目が始まる前も反復学習を行なっているので、勉強が遅れてしまうのが心配」「テストができていないので心配」とたびたび心配を訴えられ、こちらも毎日のように「申し訳ありません」と謝る日々でした。

 夏休み明けから担任が産休のため変わりましたが、新たな担任は無理強いをせず、ていねいに接してくれる先生だったことと、スクールカウンセラーが「本人が『今日は休んで明日は行く』、『今日は2時間目から行く』と決めて、そのとおりに行動できているのであれば大きな問題はありません」と言ってくれたことが私にとって大きな支えとなり、穏やかに見守ることにつながったと感じています。

 一方で、夫は娘の不登校、登校しぶりに強いストレスを感じていました。夫は「何があっても学校には行け」と親から言われており、教師からいじめにあっていたときも休むことが許されなかったため、娘の状況が理解できなかったようです。「勉強しないと落ちこぼれる」「将来がなくなる」と娘を追い詰めるので、「その気になれば勉強はあとからでも追いつけるから」と私が反論し、何度となく口論になりました。

 ある日、『不登校新聞』編集長の石井さんが出演されているテレビ番組を観て、そこで現在は「無理強いをして学校へ行かせること」が正しい選択ではないことが世のなか全体に浸透しつつあるのを理解したようで、強く言わなくなりました。

 保育園時代からふり返ってみると、きちんとした姿勢で先生の話を聞くなど、その場で「正しい」とされることをしていないと怒られてしまう緊張感がつねに娘にあるようです。いわゆる「繊細さん」の傾向もあり、学校自体は楽しいものの、精神的に消耗するのでしょう。小3の担任は「緊張しているのが見ていてわかりますね。僕もまわりを気にして疲れてしまう感覚はわかります」と共感してくれ、温かく見守ってくれています。

 やがて成長して「これくらいなら大丈夫」となるのか、本人なりにやりすごしていく方法を身につけていくのかわかりませんが、親としてできるかぎりのサポートを続け、学校とも連携していきながら、見守っていけたらと思っています。できることなら、娘の成長とともに、「学校に毎日通うことが絶対ではない」という学び方が浸透していくことも心から願っています。(吉田まき子さん・仮名)

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