中1で見失った「学校へ行く意味 」俳優ゆうたろうが語る不登校

 多くの若者から支持を集める俳優・ゆうたろうさん(23歳)に取材しました。「学校へ行く意味がわからなくなった」と言うゆうたろうさんに、不登校になった中学1年生から現在に至るまでのお話をうかがいました。

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――不登校になった当時の状況を教えてください。

 中学1年生のなかばから学校へ行く意味がわからなくなり、不登校になりました。入学当初から、クラスになじめないと置いていかれるような空気感があったので、男子数人とグループ行動をしていたんです。ですが、移動教室や休憩時間など、つねにみんなで行動しなければいけなくて、なんとなくしんどさを感じるようになりました。

 それと、深夜のバラエティ番組のようなお笑いネタや下ネタをふって、みんなで盛り上がるような独特の男子のノリが苦手だったんです。テレビの世界をそのまま持ち込むと、いじめとまではいかなくても過激ないじりになることがあるし、それをイヤと言えない雰囲気にも疑問を感じていました。最初は僕もみんなに合わせていたのですが、だんだんグループから離れるようになりました。

 それからは学校では一人行動をすることが増えたのですが、そうしているうちにふと思ったんです。「僕は学校に何をしに来ているんだろう」、と。将来の目標や夢があるわけでもなく、学びたいことがあるわけでもなく、友だちをつくりたいわけでもない。

学校へ行く意味わからなくて

 今後生きていくなかで、10代の時間ってすごく大事なはずなのに、24時間の3分の1を学校に費やすのって、「はたしてなんの意味があるのだろう」、という疑問が湧いてきたんです。

 そう考えるようになったら、学校に対する意欲が急に冷めてしまって。しだいに学校から気持ちが遠のき、遅刻する日が増えていきました。先生からは「学校に来てくれるだけでいい」と言われていましたが、遅刻してまで学校へ行く意味すらわからなくなってしまって、中1のなかばにはプツンと糸が切れたように行かなくなりました。

――不登校になってからは、どのようにすごされていましたか?

 家にずっと居ましたね(笑)。外出は月に1回くらいしかしませんでした。家族以外とは関わりもなく、自分を認めてくれるような居場所がほかになかったわけですから、どこか外の世界が怖くなっていたと思います。自分のことがきらいだったので外出するときは、顔が見えないようにマスクをかならずつけていました。服装も、夏でも長袖を着たり帽子を深く被ったりするなどして、できるだけ自分の存在を隠すようにしていました。

 そんな僕にとって救いは、SNSでした。当時から古着に興味があったので、ツイッターで自分好みの服装をしている人をフォローして、チェックするのが楽しみでした。また、そこでつながった友だちとツイッターやLINEでやりとりもしていました。SNSであれば日常と距離を置いて、いろんな世界とつながることができるから、僕にとってネットは、大事なコミュニティのひとつだったんです。

――当時の家族の反応はどうでしたか?

 昔から家族とは仲がよいのですが、不登校になったころは、父や姉妹と揉めたこともありました。当時の僕は学校とも自分とも向き合いたくなかったので、「僕のことをわかってくれないんだな」と父のことを敵対視したこともありました。

 逆に、母はよい意味で放任主義だったので、母から学校や将来の話題をふってくることはありませんでした。学校へ行っても行かなくても変わらない距離感で居てくれていることが、すごく居心地がよかったです。

「あなたはあなた」母の言葉、救いに

 中2の夏ごろに相変わらず家に居る僕に対して、母が「私はあなたのことを信じているし、あなたが学校へ行っても行かなくても、あなたの人生だからその選択は、まちがっていないと思う。あなたはあなたなんだから、好きにしなさい」と言ってくれたんです。今まで不登校に対してとくに何も言わなかった母が、自分を大切にしてよいことを伝えてくれたおかげで、僕のなかにあった迷いや苦しみが解け、気持ちが楽になりました。 

――その後ゆうたろうさんは進路選びで、高校に進学しないことを決めたそうですが、なぜですか?

 中学校の担任からは通信制高校を勧められたんですけど、「家でも勉強はできるし、高卒認定試験だってあるから、無理しなくてよいかな」と思いました。

 それより、どこでもよいから働きたいと考えていました。月に数万円でよいからアルバイトで稼いで、自分の好きなことに使うほうが魅力的に思えたんです。それにどこかで自分の殻を破りたいという気持ちもあったのだと思います。中学のあいだ何もできなかった時間を取り戻したいし、人と会ったりしゃべったりするのに苦手意識があったから、克服したかった。

 だから、高校には行かず働くほうを選びました。中学卒業後すぐに、学歴不問・履歴書不要の求人を探して、片っ端から電話をかけました。最初のうちは面接で何度も落ちましたが、手当たりしだい探し続けていたら、条件がそろった求人が見つかったんです。洋食屋のホールスタッフの求人だったんですけど、年齢・性別・学歴すべて不問で、履歴書も不要。しかも家から15分で通えて、交通費もかからない。「これだ」と思って、電話しました。実際に面接へ行ったら、とてもよい感じの社長で、「今日から働いて」と一発OKでした。

 あとで知ったことですが、社長自身も中学校を卒業してすぐに起業したそうで、いろいろな方を雇ってきたそうなんです。ずっと家ですごしてきた僕に、「そんなの関係ないからまずはやってみろ。お前の能力を見たいから、いろいろやってみて、できなかったら言ってみろ」と言ってくれたんです。職場の人たちも優しい人ばかりで、まわりに支えられながら、半年間ほどホールで働きました。

バイト代片手に自由を噛みしめ

――バイト代は何に使ったんですか?

 念願だった古着屋での買い物にすべてつぎ込みました。広島から高速バスで大阪まで行って、あこがれていた古着屋を訪ねては買いあさり、深夜バスで家に帰るという生活を、4カ月ほど続けました。それまでずっとSNSでしか見ることのできなかった世界に飛び込んで、自分の稼いだお金で古着を手にいれたときは、うれしかったですね。お金を稼いで自由を得る楽しさに、もう無我夢中でした。

 そのころから自撮り画像をツイッターに上げるようにもなりました。当時は自分の顔がきらいでしかたなかったんですけど、少しずつ発信できるようになったんです。すると、最初のうちはひとつの投稿に対しては「1いいね」が目安だったんですけど、まれに30くらい「いいね」がつくことがでてきたんです。一つひとつの「いいね」の数が、自分を肯定してくれるようでした。

 さらに、もうひとつ転機となることがありました。僕のアカウントを見てくれた姉の友だちが洋服をつくっていて、「ファッションショーのモデルにならないか」と、お誘いをもらったんです。最初は驚いたんですけど、「これを逃したら僕の人生が変わらない気がする」と、直感的に思って、引き受けることにしました。

 当日は緊張したんですけど、姉にメイクをしてもらって衣装に身を包み、舞台に上がりました。すると、僕のことをまったく知らない人たちも注目してくれたんです。ショーが終わってからも「写真を撮ってもらえますか」と何人か声をかけてくれました。

やっと見つけた、僕の居場所

 そのとき、初めて自分の居場所を見つけられた気がしたんです。今まで僕はずっと自分がきらいで、マスクや帽子で顔を隠して行動していました。でも本当の気持ちは、存在したかった。生き続けていたかったんです。誰かが僕を認めてくれれば、僕は生き続けることができる。だから、ずっと自分の居場所を探し続けてきました。そして見つけたのが、舞台に上がることでした。それが僕の生きる場所であり、居場所だったんです。「この世界で生きたい」と、初めて思えた瞬間でした。それが今の僕の原点です。

 思い返すと僕の半生は、僕自身がみずから進んで行動したというよりは、まわりがくれたきっかけによって人生が大きく動いたのだと思います。僕はもらったきっかけにYESと答えて、行動し続けただけなんですね。だからまわりの人にすごく感謝しています。

――ご自身の不登校経験を、今どう考えていますか。

 10代のころの僕は、不登校をしていた2年半を、空っぽでムダな時間だと思っていました。当時は僕という存在の何もかもがイヤで、すべてを消し去りたい気持ちでいっぱいだったんです。だから大きらいな自分を殺すように、過去のことはすべて捨て去って、生まれ変わったつもりで生きてきました。

 でも、こうしてふり返ってみると、あのときの2年半の経験が、現在に活きているのかなと思います。自分を見つめなおす時間があったからこそ、高校には進学せず今の道を選んだり、ファッションの仕事をしたり、自分の生き場所を見つけることができました。不登校で苦しんだ自分、殻を破ろうとした自分、そして芸能活動をする自分。第1章、第2章という感じで、人生って全部つながっているんだな、と。だから不登校の空っぽな2年半の時間も、まあ大切だったのかなと思います。

――ありがとうございました。(聞き手・石井志昂、編集・木原ゆい、写真・山根悠太郎)

【プロフィール】
(ゆうたろう)1998年、広島県生まれ。アパレル店員時代に「かわいすぎる美少年モデル」として注目を集め、芸能活動を開始。2017年からドラマ・舞台で精力的に俳優活動を行ない、数々の話題作に出演。出演映画の「サマーフィルムにのって」は、2021年8月6日(金)より新宿武蔵野館ほか全国ロードショー。

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