
――アスペルガー症候群の特徴は、たとえば、どんなことが?
当事者といっても人によって本当にまちまちですが、たとえば、なんでも機械的にパターンとして覚える、ということがあります。人と関わることき、外に出るとき、バイトのとき、なんでもパターンとして覚えるしかなくて、そこからちょっとでもズレると混乱してしまう。ふつうの人からしたら、ちょっとしたちがいでも、まったく別のこととして、一から覚えないといけないんです。詰め込みは得意なんですが、つなげて考えることがしにくい。一つひとつ、失敗して、あとから考えるんです。
そういう意味では、本来、学校のカリキュラムって、アスペルガーの人に向いてます。毎日、時間が決まっていて、パターン的ですからね。だけど、人間関係とか、集団行動とか、不得意なことが多すぎて、行きづまってしまって、不登校になっている人も多いと思います。歯車が狂ってしまう一つには、自分のペースを維持できないことがあると思います。
それから、感覚が過敏ですね。たとえば視覚では、身体がしんどいときは、蛍光灯の点滅がすごくわかる。携帯の画面、テレビ、パソコンなんかもうっとおしい。青色発光ダイオードなんかは、まったくダメですね。あれは眼というより、頭のなかにズキズキ入ってくる感じです。
聴覚では、たとえば改造バイクでハエみたいな音がするのがあって、あれはダメですね。
匂いも敏感で、電車の匂いとかもわかります。あと、ちがう匂いが混じったりするとダメです。
――アスペルガーは「関係」の障害だと言われますね?
そうですね。僕も、小さいころ、よく太っている子に「デブ」と言ったり、体臭のある子に「くさい」と言ったりして、怒られてました。悪意はまったくなくて、相手がどうとるかがわからなかったんです。そういうことが、リアルタイムではわからない。だから一つひとつ、パターンとして覚えるんです。それで、気を遣いすぎて自分が壊れてしまったりする。みんなが自然にやっていることでも、考えながらやっていかないといけないから、しんどいんです。
あと、僕の場合は、話しかけられると会話できるんですが、自分からは話しかけられない。それからルールでも、自分で納得のいくように説明してもらえたら、守ることができる。ただ、それを上から抑えつけられると混乱するだけです。
◎いつも怒られていた
――自分が周囲とちがうことを認識しはじめたのは?
幼稚園のときから、おぼろげながら感じてました。私立の幼稚園に通っていたとき、そこでの集団行動がしんどくて、登園拒否になりました。それで市立の幼稚園に替えてもらったら、そこは個性を尊重してくれたし、いろんなトラブルはあったけど楽しく過ごした覚えがあります。
小さいころから、いつも怒られてました。「なんで俺だけ?」と、ずっと思ってましたね。
あと、状況がわからないまま、させられていることも多かったですね。たとえば音楽会の演奏なんかも、ちんぷんかんぷんでキョロキョロしていた。父親は、そういうことに対して、個性的な子だと思ってくれていたようで、恥ずかしいとは思っていなかったそうです。早いうちから、ひとくせある子どもだと思っていたみたいです。いまみたいに障害の概念なんかなかった時代ですけどね。
◎自殺しようと包丁を…
小学生のときは、いじめられて、口でのいじめでしたが、反応をみて楽しむような感じで、帰り道に待ち伏せされたりしていました。小1か小2のときに、耐えきれず自殺しようとしたこともあります。泣きながら家に帰ってきて、包丁で自分の胸を刺そうとした。逆に、とにかく相手を殺そうと思って、待ち伏せしたこともあります。
自分のつらさを、言葉でどう説明したらよいかわからなかった。泣きながら帰ってきて「どうしたの?」と聞かれても、うまく説明できない。だから親もイライラする。結局、自分だけでしんどさを抱え込んでしまった。
学校は行きたくなかったけど、とにかく行かなければいけないと思っていたので、耐えられないと思いながらも行っていました。よう行ってた、よう生きてたなというのが正直な感想で、親も、いまはわかってくれています。
――親が理解していないと大変ですね?
本当に大変です。ただでさえ居場所をつくりにくいわけですから、親が理解していないと、どこにも居場所がなくなってしまいます。家族がまず最初の居場所であってほしいのに、そうならないケースが、実際には、かなりありますね。
――中学以降はどんな感じだったんですか?
中1のクラスが、小学校のときのいじめっ子といっしょで、最初から絶望的でした。よく、ひとりで教室の隅っこに座ってました。
いじめられたことは、いまでもフラッシュバックします。公害で有害物質が蓄積されるのと同じで、そういう記憶は排出されずに溜まっていて、何かのきっかけで思い出します。
高校は、学区で一番遠いところに行きました。地元のしがらみから離れたかったんです。おかげで、人間関係はガラッと変わりました。高校の子は、見た目ちょっと怖そうでも、話してみると、意外とおもしろくて、いろんな意味でカルチャーショックがありました。髪の毛を染めていたり、持ち物も自由で、だけど、そういうことも、僕の場合は、一つひとつ試すしかない。最初はカラーをハズしてみて、次に第一ボタンをハズして……。それは、すごく楽しかったですね。
それと、塾に行き始めて、学校の勉強も楽しくなりました。それまでは、自分の世界にこもって手遊びしたり妄想したりして、授業の流れについていけなかったのが、短期間でやり直して、ずっと成績がよくなった。それは、「流れ」をつかんだからなんです。言われたことをつかんで、テストはそれを試すだけだとわかったから、なんてラクなんやろうと。自分でも、なんでこんなことができなかったんか不思議でした。
高卒後は、大学の史学科に行きました。歴史しか興味がなくて、それしかないとこだわっていました。
――大学での人間関係は?
1年間は友だちができなかったですね。大学はクラスもないし、席も決まっていないから、話す機会がなくて、どうしていいかわからず、一人でぽつんとしていました。2回生になってからは、少人数の「講読」の授業があって、そこでは自然に話すようになって、友だちもできるようになりました。みんな変な人ばっかりで、周波数が合った(笑)。
◎診断されて何が変わったか
――アスペルガー症候群のことを知ったのは?
3回生のころです。レポートのために、図書館でADHDの本を読んだら、これが自分にすごくあてはまる。それで、関係の本を借りまくって、読みふけりました。その後、自助グループや病院の情報を教えてもらって、4回生の夏に受診しました。診断の結果は、アスペルガー症候群ということでした。
――診断されたことで変わったことは?
原因がわかって自分の状況や特性を整理できたことは大きいですね。それで、しんどさが、ほぐれてきたと思います。それまで、小さいころからずっと、自分のなかに違和感があって、それは何なんだろうと思い続けていました。
――治療はどういうことを?
鬱の状態に対して、抗うつ剤を処方してもらってます。それから、睡眠薬、安定剤、リタリンを服薬してます。抗うつ剤以外は、頓服的な役割です。状況に応じて、必要なときに飲むんです。
――たとえばリタリンは、どういう状況に対して?
バイトのときとか、何かしなければいけないときに、一個ずつ処理していくために飲みます。同時でやることが苦手なので、そういう状況になると、パニックになってしまうんです。もちろんリタリンが効かない人もいますし、副作用のある人もいるようですが。
投薬はあくまで手段です。それによって、自分の状態が見えて、自分なりのやり方を考えられるようになってきた。余裕ができないと、なかなかそこまで考えがいきません。
自分の状況を客観的に観て、自分の特性がわかってくると、対処も考えられるんです。たとえば、あらかじめ、自分なりのマニュアルをつくる。道に迷ったらこうするとか、計算をまちがったらこうするとか。もちろん予想外のことはあって、オロオロしたりもするんですが、見通しを立てておけば、余裕をもって元の流れに戻れる。
――いまは、どのような生活を?
大学は卒業しましたが、いまはプータローです。この6月まではラーメン店でバイトをしていました。洗い場とか仕込みみたいな、パターン化できる仕事はよかったんですが、4月に最前線の厨房にまわされたら、頭が追いつかなくて、ボロボロに疲れてしまったんです。同時進行で、スープのようす見から洗い場、オーダーまでまわさないといけなくて、疲れきって厨房で倒れ込んだりもしました。
受診して、状況をぜんぶ吐き出したら、重症の鬱と言われました。身体が疲れきっていて、7月前半くらいまで起きることもできなかった。あのままやっていたら、ぶっ壊れていたと思います。
◎知識よりも理解を
――医療以外には、どういう支援があればよいと?
バカにされることのない環境が必要だと思います。障害に対してのくわしい知識なんかなくても、バカにしたり笑いものにしないだけでも、理解になります。こっちも、いちいち説明するのはめんどうなときがあるし、ちょっと変わっていても、大目に見てほしいですね。もちろん、いけないことはハッキリ言ってほしいですが。
本当だったら、投薬しないでも、気楽にやっていける環境が一番です。発達障害の場合、環境によってはまったく薬なしで、できることもあると思います。結局は、居場所とか環境が大きいですよね。
それと、もっと情報が得られやすいようにしてほしいです。いまだに、どこでどうしたらいいかわからない人が多いです。そういう人は、自分ひとりで問題を抱え込んでしまう。就職にしても、自助グループにしても、何かのきっかけをつかめるような情報が、もっとあればなと思います。
とはいえ、自分自身でも、まだ、どうしたらいいかわからない部分が多いです。
――いまの社会に対して感じることは?
すごくキチキチしているじゃないですか。昔みたいにゆるやかじゃないから、ボロが出やすい。しんどさのラインが上げられていっている。ふつうの人でも鬱になりやすい社会です。だから、発達障害の人は、なおさらボロが出てしまって生きづらい。いまの社会は、すごくコマゴマとしていて、息苦しいですね。
社会を昔のように戻すことはできないかもしれないけど、気負わずに生きていける環境、居場所ができていけばと思います。自分が安心できる関係、それは友だちでも家族でも、なんでもいいと思いますが、そういう居場所がひとつでもあれば、ちがうと思います。
◎変わったのは社会のあり方
昔から、発達障害の人なんていたと思うんです。たぶん割合としては変わってない。それが、障害として成立しただけです。発達障害者が増えていると言いますが、社会のあり方が急激に変わってきたから、生きづらい人が増えたんだと思います。
昔だったら、そういう人も、自然に、なんらかのハマる場所があったんだと思います。それがなくなってきて、居場所がなくなって、追いつめられている。
障害は治るわけではないけど、そういう環境があれば、社会的には「治る」ことがあると思います。当事者が落ち着いて暮らしていければ、それは、ある意味で「治る」ことでしょう。
――周囲に理解してもらうのに、コミュニケーションはどのように?
大学時代の友だちとか、つながりの強かった友だちには話をしています。直観で、こいつにはわかるという人には話してるんです。それで、たいがい失敗はなかったですね。もちろん、かならずしも成功するかはわからないし、そういう感覚をとりにくい人もいると思いますが。
――今後については、どのように?
最近、始めたバイトは、精神科医に紹介してもらったところで、障害のことをわかってもらっているのて、すごくやりやすいです。気負わずできるし、パターンでできる。体を動かしたぶんの疲れは出ても、精神的な疲れは出ない。
将来的な仕事については、まだ具体的には動いていないけど、一つずつ解決していくしかないと思っています。
――ありがとうございました。(聞き手・山下耕平、高橋典子)
※アスペルガー症候群は軽度発達障害の一つで、「知的障害がない自閉症」とされる。対人関係や、他者の心を推し量ることに困難があり、特定の分野への強いこだわりや、運動機能の軽度な障害も見られるが、いわゆる「自閉症」に見られるような言語障害、知的障害は比較的少ないと言われる。
1944年、オーストリアの小児科医ハンス・アスペルガーによって初めて報告されたが、注目されるようになったのは、81年、イギリスの医師ローナ・ウィングによって紹介されてから。
※2005年9月1日、9月15日、10月1日 Fonte掲載


