今回は、管理社会化や新自由主義、国家主義などをテーマに執筆活動を展開している斎藤貴男さんにお話をうかがった。

――若者が置かれている状況をどう見られていますか?

フリーターやニートに対して「彼らは怠け者だから」と見る向きがあります。なかには「怠けたい」と思っている人がいるかもしれませんが、個人的な事情にすべての原因があるはずがありません。増加の原因は、単純に正社員の雇用口がないからです。正社員になることがすべてのゴールだとは言いませんが、ある程度、生活が安定し仕事にやりがいを感じる、という労働条件の雇用口が絶対的に少なくなりました。労働力調査によると、勤労人口の約33%が非正規雇用です。非正規雇用者の数は正確に把握できているとは思えませんが相当に高い数字です。私の推測では非正規雇用は50%を上回ると思っていますし、若者や女性にかぎれば6から7割が非正規でしょう。格差社会を進める人たちは、現状を「雇用の多様化が進んだ」と言いますが、それはまちがいです。多くの人が正規の道が閉ざされただけの状況を「多様化」とは言いません。これっぽっちの格差もあってはならないとは思いませんが、不公正な政治が積極的に格差を広げているのが問題なのです。

――なぜ格差が広がるような政策が進んでいるのですか?

95年、日経連がバブル崩壊後の経済不振打開のために、報告書『新時代の「日本的経営」~挑戦すべき方向とその具体策~』を発表しました。報告書では、経済不振の原因を人件費の高騰のせいにしています。人件費が高騰したことで、すべてのコストプッシュ要因となり、製品、サービスの値段が上がり、国際競争力が低下した、と。ここで卑怯なのは、彼らはバブル時代に株や土地に投資して不良債権化させたなどの放漫経営について、何も問わないことです。世界の最高水準に達した人件費の抑制は、ある程度、仕方ないことですが、自分たち経営者の責任に何も触れないのはおかしい。

この報告書によると、今後の雇用者を3種類に分けようとしています。将来の幹部候補生である「長期能力蓄積型」、高い知識や能力を持った「高度専門能力活用型」、そして「雇用柔軟型」。「柔軟」というのは、いつでもクビを切れるということです。いま「大卒派遣」という言葉もありますが、非正規雇用化が進み、末端の労働者からホワイトカラーの層まで「柔軟型」の雇用が拡がっています。私の実感からすれば、このままだと近い将来には全労働人口の約8割が「柔軟型」にされてしまうだろう、と思っています。

◎中産階級がない

いま会社では、さかんに「成果主義」ということが言われています。成果相応の給料にしよう、と。ただ、現場では成果主義はマイナスにしか作用していません。人が人の仕事の成果を判断するなんてことは、簡単なことではありませんし、もともと日本の成果主義は「正当な成果を」という理由で始められたわけではありません。95年の日経連報告と同じ発想で、人件費を抑制するためにつくられたものです。正社員どうしに「成果」を競わせて個々人の給与に格差をつけ、全体的に人件費を削減しようという経営です。

今年9月に『超・格差社会アメリカの真実』(小林由美著・日経BP社)が発刊されました。著者は26年間、アメリカで活動された方です。この本によると、アメリカ社会は、先祖代々の大金持ちの「特権階級」、日本で言えば“長期能力蓄積型”が独立し、ベンチャーを興して成功したイメージの「プロフェッショナル階層」、不安定な労働をさせられる「貧困層」、さらに「落ちこぼれ層」に分かれているそうです。中産階級の人はいません。これまでそこそこ安定した生活を送る中産階級の厚みが経済的に豊かな国の証でしたが、それが消え失せてしまったわけです。5%の特権階級とプロフェッショナル階層の人が社会の富の60%を保持し、その他の95%の人間が残りを争っている状態です。

とてつもない格差のあるアメリカ社会を、日本の政治家や経営者や学者といった社会の「上澄み」の人が、自分たちのために理想のモデルとしたわけです。改革には多くの立役者がいますが、首相の諮問機関「規制改革・民間開放推進会議」議長の宮内義彦氏(オリックス会長兼CEO)は、なかでも罪つくりだったと思いますね。彼は朝日新聞のインタビューで「心地よい格差をつくりたい」と言っています。格差を前提として、それぞれの階層ごとに住み分かれてたがいに侵犯しない、と。ようするに下のほうの人間が高望みしなきゃいいんだ、ということです。どこまで、人をバカにすれば気がすむんでしょう。

――新自由主義も不登校運動も「教育の場を選べるように」と同じ主張文句になっていますが

それは似て非なる主張ですね。学校から外れると、すぐ行き場がない、という状況の解決はべつに新自由主義のもとに改革しなくてもすむ話です。一人ひとりが、どの場を選ぶかはケースバイケースにするべきですよ。

第一、新自由主義の改革は不登校の子どもたちのために用意されたものではありません。あくまでも恵まれた、将来のリーダー候補のためだけのものでしかない、現実を忘れてはいけません。

私は学校基盤が成り立つことを優先すべきだと考えています。これまでの公教育が画一的であったという批判はあります。しかし、学校を選ぶこと、行かないことが第一義になるとバラバラになってしまうし、その自由、選択を享受できる子ばかりではありません。そこには親の経済的な問題も、認識の問題もあります。たとえ、とんでもない認識の親のもとに生まれても、その子の教育環境までぶち壊されてはいけません。社会全体として教育機会を保障する必要があります。

◎あきらめない

そもそも教育とは知識と人の道を学ぶことだと考えています。みんなが納得できるような「人間は平等だ」とか、「戦争はしちゃいけいない」とか、そういうことを学ぶ機会が保障されるべきです。いまの教育は企業社会では通用しない、という批判もありますが、私はそれでもいいと思っています。会社員が多いからと言って、企業の論理だけが重視されすぎるのはおかしい。それにどうせ社会に出たら、イヤでもその世界の価値観を身につけざるをえませんよ。学校の論理、家庭の論理、企業社会の論理は、かならずしも合致しなくていいんです。どこの論理もかならず正しいとも悪いとも言えません。

――現在の教育改革についてどう思われますか?

来年4月には全国一斉学力テストが実施されます。テスト結果は学校単位で発表される予定でしたが、さまざまな反対意見があり、都道府県単位での発表となりました。しかし、学校自身の自主的な公表は妨げないということです。すごくずるい政策ですよ。おそらく一流進学校は発表するでしょうね。そのうち中堅校も発表する流れになると思います。こういう学力テストが一般化すれば、落ちこぼれ生徒にテストを受けさせないことも考えられます。悪意はなくても、先生自身が成果主義にさらされ、なんとか平均点を上げようと、そういうことをする可能性があります。

教育再生会議などで目指している方向は公教育の解体です。恵まれない子にはムダだから教育をしないという、選民思想、究極の社会ダーウィニズム政策です。

――こうした流れにどう対抗すればいいのでしょうか?

あきらめないことです。新自由主義の勝ち組は、「多様な価値観がある」と言いつつ、新自由主義一色、多国籍企業の論理だけに染め、すべての富を独占しようとしています。会社員だけでなく教師や公務員にも成果主義を導入し、NPOや組合などの市民にも金をばらまいて、取り込もうとしています。この流れは強いです。

いま景気回復局面が57カ月以上も続き、いざなぎ景気(1965―70年)を上回ったと報道されました。これはこれでウソではありません。国内の労働者を排除して、中国や東南アジアで雇ったおかけで、企業は空前の高収益をあげています。経済界では人件費削減への評価も変わってきています。以前ならリストラをした会社は株価が落ちていましたが、いまはリストラすると株価が上がります。経営者のなかには必要がなくても、株価つり上げのためにリストラすることもあります。

一定の効率を求めるのは仕方がないとしても、こうした流れのなかで多すぎる犠牲者が出ています。経営者や特権階級の人だけが潤うアンフェアな社会です。無力感にさいなまれることもありますが、あきらめるヒマは残されていません。

――ありがとうございました(聞き手・石井志昂)

(さいとう・たかお)1958年生まれ。『日本工業新聞』、『プレジデント』、などの記者を経てフリー。著書に『住基ネットの〈真実〉を暴く』(岩波ブックレット、2006年)など多数。

2006年11月15日 Fonte掲載