
ニート特集第2弾は、社会学者・立岩真也さんへのインタビュー。立岩さんは、障害者問題、尊厳死、労働問題などを研究されており、とくだんニートについての研究はしていないが、労働の分割・分配や就労訓練についてのお話は、いままでとはちがった視点からニート問題を考えるヒントとなった。
――現在の労働状況について、どう思われますか?
みんながフルに働かなくてもすむ社会になった、ということだと思います。それ自体はよいことです。みんなが働けば、物があふれてしまう。働かない人がいること自体は悪いことじゃない。それだけ余裕のある社会だということです。
もちろん、消費し生きていくには生産が必要で、生産のためには労働が必要です。お金を稼ぐ労働にかぎらず、働く必要はあります。その意味で、憲法の「勤労の義務」は、一応認めていい。ただ働く場がないから働けと言っても無理で、生産が足りているなら、その必要もない。他方、働きたい人の気持ちは大切にしたほうがよい、働いてもらったほうがよい。それをどのように実現するかが問題です。
――ニートについてはどう思われていますか?
僕はニートや若者について、調べたり読んだりしてないので、よくわかりません。わからないときは、わからないと言ったほうがよいと思うので、まず、それを言っておきます。
ただ、まず職がない。雇われる側にとってみれば厳しい状況になっています。もう一つ、人が足りているから人の使い方が荒くなっている。さらに、物がたくさんあるのに、もっとつくって売ろうとするから、働く側にとれば「ここまでやる必要あるの」と思うことをさせられる。状況はこうなのに、やる気があるとかないとか、人間関係のつくり方がうまいとか下手だとか、「現代の若者」の性格みたいなもので説明するのはだめだと思います。
では、経済を拡大し、雇用を拡大すればよいかというと、それもうまくいかない。生産は基本的に足りていますから、無理して増やそうとしても増えないし、それでも無理して増やすと意味の感じられない仕事が増えることになります。
それでも多くの人が働くようにしたいのなら、仕事を分け合うことです。そうしなければ、仕事したくても仕事はない。誰にだってわかる理屈です。若者の根性の問題ではありません。
――ご自身の学生時代と比べると変化を感じますか?
今よりは全般的な就職状況はよかったと思います。ただこれは男性にかぎってのことで、女性は厳しかったです。だから、いま失業したりバイトで暮らしたりしてる人たちがいる場は、以前は女性がもっぱら引き受けていたとも考えられます。
◎今のほうがきつい部分も
――若者が「甘えているだけ」と意見は多いですが。
たしかに僕より上の世代の人たちたちは、終戦直後とか物のない状況を生きてきた。むろん貧乏はつらいです。だけど働くしかないなら働くしかない。そこはすっきりしているし、働けばそれだけいいことがあるから、不幸ではない。
今は自分が働かなくても世の中まわっていくのに、働かなければならないことになっている。仕事も、必要性があるんだかわからないわりにきつい。で、しんどくなる。今と昔を簡単に比べられないと思うし、今のほうが以前よりきつい部分もあると思います。
――就労訓練について、どう思われますか?
イギリスなんかで「ワークフェア(※注)」って呼ばれる政策があって、若年失業者に就労訓練をさせたりして成果を収めたとか言います。でもそれはおかしい。職業訓練をしたところで仕事が少ないことには変わりがない。失業者は出る。そういうことです。
「いきなり仕事するのは怖いから、どこかで肩慣らしを」という気持ちはわかります。ただ、それで解決するとは思えません。だいたい就労訓練って具体的に何するの? 仕事で使うスキルを習いたいとして、専門学校なら星の数ほどある。スキル以外に必要なのは実践でしょう。実践のほうは、実際の場でやってみないと。訓練はしょせん「疑似体験」にすぎないんです。中途半端さは拭えません。
それから、「働けない」と「働かない」は言葉としては区別できますが、実際には分けにくい。手が動かなかったり計算ができなかったり、明らかにできないことがわかることもあります。でも精神障害の人なんかよくわからない。「働きたくないだけなのに、働けないと言ってる」と非難されがちです。しかし、さぼりたいのかできないのかは、本人にもわからなかったりする。他人もわからないんだけど、たださぼっているように思い、非難する。本人は「働かなければ」と思い続け、状況が悪くなっていくことが多いです。
働かなければとプレッシャーを感じている人は、就労訓練の施設ができると、さらに厳しくなるかもしれません。そこは半端な場所で、行ったからといって仕事に就けるわけでもない。でも、「せめて訓練の場に行くだけ行かなければ」、というわけです。しかし、結局、職はない。でも訓練の機会は提供したのだから、あとは自分の問題だ、自己責任だ、ということになる。
――働くことをどう考えたらいいと思いますか?
まず、働くことは生きていくための手段です。手段であることと働くことの楽しみは両立しますが、手段は手段であり、それ以上でも以下でもありません。
労働の美徳、倫理、美意識はあってもいいんです。仕事が楽しいと思ったり、意義を感じたりすることはあります。それはまったく否定する必要はないです。でも、労働に対する美意識と同時に、「何ほどのもんか」という思いを持っていたらいいと思うんです。
◎何かをしないと価値がない?
──なぜ、働くことは過剰に考えられるのだと思われますか?
近代の社会は「人間がそのままでOK」とはしてきませんでした。働いたり、何かをすることによって、その人が存在する価値や意味を生じるという観念をつくりだしてきました。何かをしないとその人に価値がないというのは、どう考えてもおかしいことです。生きていくために仕事はあります。仕事という手段によって自分の価値が格づけられたら、主客転倒です。そこは単純に考えて、おかしいと言わざるを得ません。
――今後はどんな方向に進んでいくのがいいと思われますか?
一つは労働の分割・分配です。働きたい人が4人いて、仕事の席が3つしかないとします。そのままなら4人目をはじいてしまいますが、3人の働く時間を減らして、仕事を4人目にまわそうというのです。みんなの労働を増やすのではなく、割っていく。労働時間が減ったら給料も減りますが、もしみんなに仕事をさせたいなら、いま席をとっている人もそのぐらいは飲まないといけない。これはヨーロッパやいろんな地域で実践されていることです。難しい部分もありますが、日本でも、工夫すれば実現可能なことです。
それがいやなら、働いている人たちは、ほかの人のぶんも勝手に働いているんですから、働いてない人にきちんと分けるものを分けるべきです。もちろん暮らす権利は働く人だけのものではありません。働こうが働くまいが基本の所得を保障する「ベーシックインカム」というアイディアもあります。日本では若い人からそういうことって言い出しにくいかもしれません。でも仕事を分けてくれ、それがいやなら金を、というのはもっともな要求です。金を分けろ、それがいやなら仕事を、でもよいのです。そして、所得と就労、両方いっしょでもよいし、そのほうがよいはずです。とにかく問題を人の心の問題と見ないことです。気持ちを入れ替え、訓練すればなんとかなるなんて話を信じないことです。くり返しますが、そんなはずないんです。
――ありがとうございました。(聞き手・石井志昂)
※注ワークフェア……福祉受給者に対して、一定の勤労を義務づける制度
(たていわ・しんや)
1960年、新潟県生まれ。立命館大学教授。著書に『私的所有論』(勁草書房/1997年)、『自由の平等―簡単で別な姿の世界』(岩波書店/2004年)など多数。くわしくは下記HPに。
2005年4月15日 Fonte掲載


