
日本は消費文化がもっとも“進んだ”国です。マンガ、テレビ、小説など、私たちはごく当たり前に消費文化のなかを四半世紀以上に渡り暮らしてきました。この消費文化が担っている暴力性と現政府の政策のつながりなどについて、お話ししたいと思います。
◎意欲と能力
安倍政権が誕生し、「フリーター・ニート」などを対象とした再チャレンジ政策が打ち出されました。この再チャレンジ政策にこめられた考え方と消費文化の特質が、非常にフィットしていると言えます。
再チャレンジ政策は実効性の疑わしい点がいくつもあげられます。まず、政策では約200万人のフリーター(厚労省統計)の2割減を掲げていますが、これは誰でも実現可能です。というのも、フリーターの定義が34歳までなので、3年後、フリーターでもっとも層の厚い人たちが35歳以上になるからです。ほかにも、ヤングジョブスポットの全国的な閉鎖や1割程度しか適用されてないパート労働者の厚生年金問題など、現実的な効果には疑問が残る政策です。
しかし、この「再チャレンジ」という言葉自身が持つ意味は考える必要があります。「再チャレンジ」とは、「機会はあったけれども意欲や能力が足らずに失敗した人」に再度、機会を与える、という意味です。この「意欲と能力」という言葉は、昨年秋に発表された日経連の報告書『希望の国、日本』にもたびたび登場します。私は再チャレンジ政策をはじめとした政策を「自立支援型の政策体系」と呼んでいますが、この5年間で「意欲と能力」が問われる政策が幅広い領域で敷かれました。
02年に施行された「ホームレス支援に関する特別措置法」では、ホームレスの人が施設滞在するためには「自立の意欲」が認められなければなりません。また、昨年から、厚生労働省は一人親の生活保護世帯に支給される「母子加算」制度を段階的に廃止する方針を固め、代償措置として、月収3万円以上の世帯に就労促進費(月1万円程度)を支給する制度を検討しています。あらゆる場面において、自立を目指す「意欲」のある人にかぎり、支援する方向が強まっています。
◎求められる対人能力
もう一方で求められるのは「能力」です。東京大学助教授・本田由紀さんは、現在の「ハイパーメリットクラシー(超業績主義)」のなかで求められる能力は「対人能力・対人関係能力」だと指摘しています。
本田由紀さんは高校生を対象とした調査をもとに、対人能力がどう評価されているのかを分析しています。結論から言うと、学力が高くて、家族関係が恵まれている子ほど対人能力の評価が高く、逆に家族関係がうまくいってないと対人能力は低く評価される、と。なんじゃ、そりゃ? と思うかもしれませんが本当です(笑)。近代社会での能力観とは、「能力は勉強や仕事のなかで培われる」というものでしたが、対人能力はちがいます。個人の努力ではどうにもならない「関係」が評価され、克服まで強要されることになります。
私自身、この対人能力という言葉は拒否したい言葉です。人と人のつながりは「個人の能力」などで決定するものではありませんし、対人能力なんていう能力は存在しないと思っています。
◎消費文化の暴力性
消費文化の暴力性が顕著に現れ、もっとも騒がれているのが一連のいじめ事件です。
最近、無視することを「はぶく」「はぶる」と言います。会話をしない、携帯で連絡をとらないなど、ある人を自分たちの関係から「省いて」しまい、人として認識しないといういじめです。先日、山口県では、ある日を境にまったく友人が話をしてくれなくなったという小学校高学年の子の話を聞きました。また、いじめの場面を写メールでとり、クラス全員に送信した、という例も聞きました。指一本で簡単にその子を転校、場合によっては自死まで追いつめることができてしまうわけです。子どもは携帯メールでやりとりをするため“いじめた人”を特定することは、まず難しいでしょう。
こうしたいじめの本質は「社会関係から個人を切り離す操作・文化」だと言うことです。いじめに端的に現れますが、日本社会ではいたるところで、「社会から特定の人間を間引く文化」が存在し、それが暴力だと認識されないまま、広く浸透してきたように思います。
◎社会的な孤立
こうした状況のなかで若い人たちはすさまじい孤立を感じています。OECDの調査によると、15歳の子に「孤独を感じますか?」と質問したところ、29・4%の子どもが「孤独を感じる」と返答しました。これは世界第1位の結果で、2位のアイスランドが10%ですから、いかに際だった数字かわかります。また、別の調査では「悩みや不安を感じたときの相談相手」として、「親」や「同世代」を選ばず、「誰にも話さない」という回答が増加しているそうです。日本の思春期の少年少女たちが、いかに深く社会から切り離されているかが現れているでしょう。
こうした孤立状況、一人ひとりの「個体化・個人化」が進んだ状況は、徹底した消費文化の影響だと言えるでしょう。そもそも消費文化は個体化を進める特質を持っているからです。電話やテレビは一家に一台よりも一人に一台のほうが市場は大きくなるわけですから、経済的にはどこまでも固体化が進んだほうがいいわけです。
個体化が進むことで「対人能力」は減退することになりますが、より大きな問題は個人の悩みや生きにくさが内閉化されてしまうことです。自分が何に苦しめられているのかを突き止められぬようにされることです。
マンガ『ヒミズ』(古屋実・講談社)のなかで、生きにくさが内閉化された若者が描かれていました。ヒミズの主人公は、自分はまったく価値がない人間だと思い、自分が社会のなかで生きる価値を得るためには、自分より価値のない人間を発見し殺すことが必要だと考えました。しかし、「価値のある・なし」などを人間が判断できるはずもありません。主人公は結局「自分より価値のない人間」を探し出せず、社会にもっとも有益な判断として「自分を殺す」ところまで行き着きます。
「生きる価値」を問う時点で、すでに行きちがいがあるわけですが、個体化が深く進んだ文化に生きる若者の生きにくさ、その困難さが描かれた作品だったと言えます。
◎社会の公正さ
消費文化によって生み出された孤立状況と対人能力を求める政策は非常にフィットしていると言えるでしょう。しかし、教育再生会議の提案や再チャレンジ政策では根本的な解決は期待できません。再チャレンジ政策などは、消費文化の持つ暴力性を前提に個人個人に「強くなる」ことを要求しています。私たちが考えるべきは、私たちが切り離されていること、暴力的な状況に置かれていること、そして、それは社会が対応すべき問題だ、と訴えていく視点でしょう。新しい暴力批判を行ない、社会の公正さを求め、文化のあり方を考えることが必要だと感じています。
プロフィール
(なかにし・しんたろう) 社会哲学、現代日本社会論。季刊『前夜』編集委員。著書に『若者たちに何が起こっているのか』(花伝社)、『思春期の危機を生きる子ども』(はるか書房)、『情報消費型社会と知の構造』(句報社)など。
※2007年4月1日 Fonte掲載


