戸塚ヨットスクールに関係して死んでしまった若者たちの話は、どれも身震いを覚えずにはいられない。
今回紹介する「あかつき号事件」は、奄美大島の合宿の帰途、乗船していた「あかつき号」から、2人の少年が海に飛び込み、死んだ事件のことである。2人の少年とは、水谷真くん(愛知県在住)と杉浦秀一くん(大阪府在住)で、どちらも15歳だった。
水谷真くんは1982年4月に高校に入学するが、寮がいやで再三抜け出したり戻ったりしている。6月には、まったく登校しなくなり「山の中で生活したい」などと言い、自宅に戻った。水谷くんが所持していた2万円を父親が注意して取りあげたところ、バットを振りまわして暴れたので、父親は縛って車に乗せ、精神科に連れて行き入院を希望したが、水谷くんが拒否した。医者は精神病と神経症の中間にあるという意味の「境界例」と診断した。
水谷くんの両親は、テレビにより知った戸塚ヨットスクールへの入校を希望、「登校拒否・家庭内暴力・無気力」が治るのを願って、早く入校させてほしいと何回かの電話と手紙まで書き、7月10日、新人迎えとなった。
一方、杉浦秀一くんは中学時代、いじめや暴行を受け、登校はしていたが、うっぷん晴らしに弟をいじめることも多かった。
杉浦くんは、関西大倉高校に進学したが、中学時代のいじめの噂にがまんしながら登校するため、家に帰ってからは当たり散らすので、親は精神神経科に相談した。当時の杉浦くんの状態は、「焦燥感が非常に強く、周りの人に対する不信感が強い、精神的に不安定で、睡眠も障害されていた」ということで、病名は、「心因反応(家庭内暴力)」と診断された。
両親は、新聞報道で知った戸塚ヨットスクールに入れることを考えるようになり、一日も早い入校を希望する手紙を書いた。申込書には「家庭内暴力、無気力、思春期挫折症候群」に該当し「即刻入校希望・在宅に危険を感ず」などと記載されていた。そして、7月24日、戸塚の指示を受け、コーチ1人と生徒2人が、車で新人迎えのため家に向かった。
戸塚ヨットスクールに行くことを拒否する水谷くんに対し、2人のコーチは顔面や腹部を殴りつけ、腕をつかんで車に乗せ、愛知県の戸塚ヨットスクールへ連行、男子訓練生の部屋に設置された格子戸付き押入に水谷くんを入れ、鍵をかけた。
7月11日から21日まで、そこで訓練を受けるが、訓練、作業などがない日中や夜間には、格子戸付きの押入内に水谷くんを入れて鍵をかけ、早朝体操、作業、海上訓練、入浴などで水谷くんが外に出るときには、コーチや番外生が監視役となった。夜間には、階段に設置してある人の通行を感知する警報機を作動させたり、交代制で見張りを置くなど水谷くんを含む特別合宿生が逃走しないよう監視を続けた。
杉浦くんも、戸塚ヨットスクールへ行くことを拒否した。付近の机の脚や出入口の枠などにしがみついて抵抗する杉浦くんに対して、コーチはその顔面を2~3回殴りつけ、迎えの番外生に腕などをつかませ家の外に連れだし、停めてあった車に乗せ、両脇に番外生を見張り役として置き、車を発進させた。まもなく車内で両手首に手錠をかけさせ、翌日午前3時ごろ、愛知県の戸塚ヨットスクールに連行、手錠は外したが、男子訓練生の部屋に設置された格子付き押入に杉浦くんを入れ鍵をかけた。
そこで7月25日から27日まで生活させるが、夜間は格子付きの押入に杉浦くんを入れ、日中は逃走しないよう監視していた。
こうして2人は、ほかの特別合宿生らとともに、夏期合宿が行なわれる奄美大島へ向かわされることになる。
合宿所までは日時をずらして、1~3陣のかたちで連行、水谷くんは第2陣として7月21日出発、神戸まではマイクロバスに乗せられ、休憩の際は、番外生に見張り役をさせて逃走しないよう監視、神戸港での乗船待ちのあいだは、事務所外の階段付近の一画に特別合宿生らをまとめて座らせた。便所に行くときには見張り役をつけ、乗船後は自由航行をさせず、夜間は見張りを置いた。
杉浦くんは第3陣に入れられ、フェリー内でひそかに母親に電話をかけたので叱りつけられ、水谷くんと同様監視されつつ、奄美大島についた。(つづく・奥地圭子)
※2003年5月1日 不登校新聞掲載


