10月30日に戸塚ヨットスクールに連行されてきた吉川くんは、11月4日には死亡した。それは、いかにして発生したか。
 10月31日、午前6時早朝体操に向かう玄関前で、吉川くんが崩れるように座り込んだため、戸塚らは、ホースで頭の上から全身に水をかけた。動こうとしないので、戸塚の指示で、再度頭から水をかけた。吉川くんは、座り込んで数分後立ち上がり、早朝体操の行なわれる海岸のほうへ歩いていった。
 腕立て伏せのできない吉川くんに対し、スタッフたちで竹の棒で背中や臀部付近を10回くらい殴りつけたり、手で腹や体をこもごも殴りつけ、大腿部を足蹴りした。さらに、階段のところで動かなくなった吉川くんを、戸塚が命じて、もう1人のスタッフと2人で吉川くんの手首をつかみ、海のなかへ体を投げ入れ、その後、海岸で、吉川くんの頭を手で殴りつけた。午前中、健康診断のため平病院に行くが、戻って車から降りようとしないため、平手で顔面を殴りつけられ、3人のスタッフによって引きずり降ろされた。
 昼食をとろうとしないで寝転がっていたが合宿生が宿舎へ帰るときになっても動こうとしないので、胸や腹を足蹴りし、ホースの水を全身にあびせた。さらにスタッフ2人が、吉川くんのからだを引きずるようにして、車まで運び、頭と足が上下逆さ向きになる状態のまま押し込んで、合宿所まで戻った。
 同日午後、海上訓練に出発しようとせず、引きずりながら海岸まで連れて行かれた。波打ち際に倒れこんだのをみて、戸塚は立つよう命じ、立たないので、顔を海水につけた。
 その後、モーターボートに乗せられ、ヨットの操縦に必要な行動が取れず、海中に投げ出され、引き上げられたが、その間、顔面を平手で何回も殴りつけられ、ひしゃくで海水を頭からぶっかけられたりしている。海上訓練が終わったとき、海岸に横たわっている吉川くんを取り囲んで「情けない男だ」と言つつ足蹴りにした。吉川くんは、海岸から合宿所までひとりで歩くことができず、ほかの訓練生に抱えられながら合宿所へ戻り、夕食後も横になっていたという。それをまた「ほかの訓練生の邪魔」といって足蹴りにされた。
 たった1日で筆舌につくしがたい暴行の数々を受けたことにる。
 11月1日の早朝体操も、午前中の穴掘り作業も、似たような感じで何度も殴りつけている。
 午後の訓練での暴行もすさまじい。叱りつけながら、海水に突き落とし、モーターボートで近づいたスタッフが、バケツで海水をかけたりヘルメットを叩いたりしたが、その後吉川くんのからだ目がけて、スタッフが足から飛びこむようにして、吉川くんのからだを沈めることを何回もくり返した。また、吉川くんをモーターボートに引き上げた際、彼の背中を、マストの先の金具で殴りつけた。その日も、吉川くんは夕食もとらず横になっていた。夕食後、入浴のため角屋旅館へ行くときも、ほかの訓練生に抱えられても膝をつくようすに、往き帰りとも平手で殴りつけている。
 11月2日、午後は合宿所で終日寝る状態で深夜「水をくれ」と叫び、吐いたり、尿をもらすなどもあった。
 11月3日も食事をとらず、終日寝ていたがほかの者が話しかけても、意識が朦ろうとしているようすだった。
 この日の午後11時ごろ、吉川くんの脈拍が、確認できないくらいになっていることを知って慌てたコーチらが、平病院まで車で運んだが、同日4日午前0時ごろ、平病院へ行く途中で死亡した。
 これが80年に起きた、世に言う吉川事件だが、82年8月には、15歳の2人の高校1年生が暴行から逃れようと海に飛びこんで行方不明になった「あかつき号事件」、同年12月には、13歳の小川真人くん死亡事件を起こしている。(つづく・奥地圭子)

※2003年4月15日 不登校新聞掲載