
「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」
たしかにそうだ。ホントにそうだよな、と思う。夏目漱石が『草枕』で書いたこの言葉にはなんとも深い共感をおぼえるし、誰にも思い当たるふしがあるからこそ、これは多くの人によって引用される言葉となったのだろう。
しかし、そこは夏目漱石である。彼は「この世は生きにくい」とただボヤくだけで終わらなかった。この言葉には続きがあるということを、一体どれぐらいの人が知っているだろう?
フリーライターを名乗り、初めて記事を書いたのは18歳のときだった。
きっかけは新聞に掲載されていた求人広告。「ライター募集」の文字に飛びついて雑誌社に履歴書を送ったのが始まりだ。
今思えば、それもかなり変わった応募書類だったように思う。中学を途中で脱走して、子どもが新聞記事をつくる市民活動に参加し、取材でアメリカに行ったり、カンボジアへ行ったり。さらには独学でいろんなことを勉強してきたので、記事を書くなら任せてくださいと綴られた文書。われながらよくわからない不思議な履歴書である。
けれど驚いてしまうのは、そんな人物をひとりのライターとして認め、きちんと採用してくれる雑誌社があったことだ。
「君の経歴はなかなかおもしろい。学校に行かず18歳でフリーライターをやってるなんてね。それがいいと思ったんだよ」
そういって「ワハハ!」と肩を叩いたのは、面接に現れた『ビッグイシュー』誌の代表だった。隣に座る編集長からは「どうぞよろしくお願いしますね」とお辞儀を受けたので、自分もあわてて「よろしくお願いします」と頭を下げた。18のこんな駆け出しライターにもチャンスを与えてくれ、見下したりなどせず、対等なパートナーとして接してくれる。そんなおとなたちに心の底から頭が下がる思いだった。
◎成功した人でも生きづらい
それからというもの、雑誌のありとあらゆる取材を担当するようになった私は、まさにてんてこまいの毎日を送るようになっていた。かつて自分が読んでいた本の作家、テレビでみたこともあるお笑い芸人、ダンボールに絵を描くアーティスト、浮世絵を復刻する職人、縁遠い存在だと思っていた大学教授の話から、果てはカリスマと呼ばれるファッションデザイナーまで。自分がそれまでまったく足を踏み入れずにいた未知の世界は、いつも新鮮な驚きとエネルギーに満ち溢れていた。昨日まで知っていた世界がいかに狭いものであったかに気づくとき、世界は広い平原のように思えた。「この世界にはこんな場所もあるんだよ。山も、川も、価値観も、そして生き方も。たくさんたくさん存在しているんだ」。そんなふうに誘われるまま、どこまでも平原を旅していく感覚――。それがフリーライターという仕事なのだと私は少しずつ理解するようになっていた。
そうした旅先で出会う多くの人々もまた、形はちがえど、なにかしらの“生きづらさ”を抱えていると気づいたのはいつごろだったろうか?
売れる本をバシバシ出版して、TVにも引っ張りだこの方とお会いしたとき、いっしょにお酒を飲みながら、その人はポツリと「ときどきすべてがむなしくなるねぇ」と呟いた。まわりからすればとても充実した日々を送っているように見える人だから、その呟きはすこし意外だったけど、有名であるとか、まわりからみれば充実していそうだとか、そういう評価というのは、けっして生きづらさの問題とは関係がないんだなぁということに、私はあらためて気づかされるようだった。
誰かと生きていくかぎり、またこの社会で生きていくかぎり、どこまで行ってもついてまわる生きづらさの影がそこにはあった。
夏目漱石の言葉は、こんなふうに続いている。
「とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引っ越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟ったとき、詩が生まれて、画ができる」
生まれてくるのはきっと詩や画だけじゃない。言葉も、誰かへのやさしさも、世界の豊かさも、そして生きづらさを何かに変える人々の生き方も、いつかはそこからは生まれてくる。そのことを私は、今でも信じてやまないでいる。(執筆・土田朋水)
※2006年4月1日 Fonte掲載
※年齢は執筆当時


