このひと月半ほどのあいだにアメリカとカンボジアを訪問した。アメリカでは、児童虐待に関してスクールソーシャルワーカーの活動の実態に触れるために、2日のあいだにシカゴ近郊の5つの公立小・中・高校を訪ねた。カンボジアでは児童の人身売買問題に焦点を絞って、いくつかのNGOと大学の関係者に会ってきた。
それぞれに時間がかぎられた旅であったため、断片的な情報しか得ることができなかったが、ひとつだけはっきり言えることは、訪ねた二つの国々の子どもたちの困難な状況と比較して、わが国の子どもたちのほうが恵まれているとは決して言えないということである。子どもたちは異なる状況の下で、それぞれが困難に直面し苦しんでいることに変わりがない。そのことは、世界中どこの国についても言えることだと思う。
私は、子どもたちの現状をより幅広く理解したいという思いがあって、この数年、日本だけでなくアジア――とくにモンゴルを中心として関わりを持ち続けてきた。その結果、自分が得たことといえば、環境が異なってはいても胸を塞ぐ事実がいたるところに存在し、厳しい現実に対して自分ができることなどほとんどないという無力感である。ただそれでも、絶望してすべてを投げ出してしまわないでいられるのは、確固たる志を抱き続けている人々との出会いがあるからである。
最近の旅で会った、競争万能主義で誰もが憑かれたように走り続けるアメリカ社会にあって、子どもの側にしっかりと与し権利擁護の姿勢を保っているソーシャルワーカーたち。そして、内戦、とくにポルポト政権による大虐殺の傷が十分に癒えたとは言えず、国の再生の途上にあるカンボジアで、人身売買や性的搾取の防止やケアに携わるNGOのスタッフたち。さらに、これまでに出会ったその他の国々の人々。それから、すべてが閉ざされて出口がないような閉塞的なわが国にあって、子どもたちの最善の利益を念頭に置き長年にわたって、確かな足取りで活動を続けている市民レベルの人々の存在。
それぞれの活動には直接的なつながりはないが、基底にある想いは確かにつながっている。私は、それらの想いがいつの日か有機的につながることを夢見ている。アメリカや日本政府の強権主義は、現在世界を席巻しており、力のない貧しい者たちにとってはより過酷さを強いられる状況となっている。だが、まだ結ばれていないネットワークは、先に挙げたような人々の活動が絶えてしまわないかぎり、蜘蛛の糸のように紡がれ、いつの日かつながるはずである。
シンクロニシティという言葉があるが、遠隔地における個々の同様の活動があるレベルを越えたときに、それぞれがつながりを持っているかのように、ひとつのエネルギーとして共振するという現象に用いられたりすることがある。60年代の世界の若者たちの運動や、90年代初頭の社会主義諸国の民主化などの動きがその好例である。
私は、まだつながってはいない国内外の動きがシンクロ(同調)し、ひとつのうねりとなる日が来ることを願い、自らが変化への動きに連なるひとつの細胞として存在し続けたいと思っている。(スクールソーシャルワーク協会)
※2006年1月15日 Fonte掲載


