9月10日から14日まで、中国を訪れた。「靖国」やら「新しい歴史教科書」の問題を背負っての訪中は、私にとってかなりの重荷であった。ただ私には、ここ20年ほどのあいだ、心を交わし合ってきた中国の友人たちがいて、私の来訪を待ってくれていた。その友人たちのはからいで、中国の国家教育部、中国教育学会、中央教育科学研究所、北京大学をはじめ周辺諸大学の代表たち約80名、中国教育界の中心にある人たちを集めてくれていた。私に「おもいのたけ」を語れというのである。齢を重ね、足腰の重い身だが、覚悟の訪中となった。
私のスピーチは、「雪がとけたら何になるか」ではじまった。1985年、武漢で行われた教育学術大会で、その話が好評だったのを思い出したからだ。低学年理科、先生の教えたとおり「水」と答えた子は○、頭で考えて「春」と答えて×。朝日新聞「ひととき」欄の投書からのエピソードだ。あとの座談会で、「私だったら『長江』になると答えても◎を」、という教師もいて、その場の共感を呼んだ。
×をした教師が、「春って、おもしろいわね、私気づかなかった。みんな、そう思わない」と言ったら、投書の対象にならなかったはず、というのが授業というものへの私の期待だった。
この授業演出のポイントには、まず一人ひとりは「ちがう」思考や感情を持つこと、次に一人ひとりは、教師自身を含めて「不完全」であり、それゆえに「可能性」を持つこと、さらに、この不完全でちがう一人ひとりの可能性が、「かかわり合う」ことで、より深い真理真実の探求がとげられること、という点にある。これは、多様性、自己創出力、依存関係性という生命の特質をふまえたアートとしての授業の演出なのだ。
こういう授業への共感の再確認のうえに立って、そもそも子どもの「ひとなり」を支える教科書のあり方を問うことにした。
その資料として、わざわざ中国まで持参したのが、日本の敗戦直後、1947年文部省著作の新しい社会科教科書『土地と人間』(小学6年生用)である。その「あとがき」「教師及び父兄の方へ」の一部に、「この本は、児童たちに社会科学習の手がかりとなる若干の資料」にすぎないと言い、「従来の教科書と同じように考えてはいけない。むしろ、児童用の参考書の一種として取り扱っていただきたい。したがって、この本に書いてあることを、順々に説明したり、暗記させたりしては困る」とある。これが学校教科書にあらわれた戦後民主主義教育の初心だったのだと述べた。
国定教科書制度は、検定制度へとかわったものの、1950年朝鮮戦争以来、共産主義への防壁となることを求める占領政策の変更以降、国は検定を通じて厳しいチェックをはじめ、管理強化や共通入試への対応もあって、結局、教科書を「順々に説明したり、暗記させたり」の国定時代の授業にかぎりなく接近しつつあると、正直に現実を伝えた。
問題となった「新しい歴史教科書」は、事実の歪曲、閉じられたナショナリズムなど、採択してもらっては困ると私も考える。だが、私の教科書観によれば、一冊くらい教室においてはどうかとも思う。というのは、0・039%の採択率で、中国政府も日本市民の「良識」を一応評価したものの、この教科書にうかつにも同調する人が、なお少なからずいるはずだ。だからこそ、そういう現実に、子どもたちとともに向き合うことが、平和と民主主義の思想を内面から根づかせるために大切だと思うのである。私は、そう述べた。
国定の教科書信仰は、日本の「学校信仰」と根を同じくしている。選びながら豊かな人生を生きるのに、子どもが不登校を選択しても、むしろ当たり前という考えも、いまではかなり定着してきた。とはいえ、一冊の教科書の記述内容で、一喜一憂するのも、やはり「学校信仰」の根強さを象徴するのではあるまいか。(日本子どもを守る会名誉会長)
※2001年11月1日 Fonte掲載


