「心の非暴力」というのは、マハトマ・ガンジーの言葉である。心の暴力をガンジーは、メンタルバイオレンスと英語で呼んだ。心の暴力は、まず言葉の暴力となって表れ、やがて肉体的な暴力となって人を傷つけることが多い。その根本は心のあり方にあるとガンジーは指摘した。

 ガンジーは「心の暴力には力はない。それは暴力的な思いを持っている人をさらに傷つけるだけだ」と語っている。そして「心の非暴力はそれとは逆であり、非暴力には世界が知らないような豊かな力がある」とも書き残している。

 近年、メンタルヘルスという言葉が流行している。メンタルヘルスとは、心の健康を意味する。心の健康に対して「心の病」という言葉もよく耳にする。心の病とは精神病ではなく、本来の医学的な疾病でもない。医学的な根拠に基づく疾病とはちがう概念と言える。人間が生きていく上で、悩んだり迷ったりする心の状態が、個別に深まった状態と言えるかもしれない。「心の病」というのは、人間社会が人為的に生み出したものではないか。

 心の健康をむしばむのは、多くの場合、人間関係のストレスや目には見えにくい心の暴力が背景にあって、その結果として起こりうるいわば「人災」としての心の被暴力的な状態であって、それを「心の病」として区別されて呼ばれているのが実態ではないだろうか。心の健康に相対するのは、心の病ではなく、心のあり方としての心の暴力なのではないかと思う。

 心の暴力はたしかに言葉の暴力として表れやすい。私たちの日常生活をふり返ってみても、とりわけ親子関係などで思い当たることもあるかもしれない。とくに幼い子どもに対して大人は、その権力的な関係を自覚することなく「ダメな子だなあ」とか「どうしてきちんとできないの」といった言葉を無意識に使ったことはないだろうか。

 言葉の暴力は、学校教育の現場でも強い立場の教師から生徒へ平気で投げかけられたり、医療の現場でも医師やスタッフから弱い立場におかれた患者や当事者の人たちに心無い言葉として無神経に使われていることが多い。まさにこれらは心の暴力であろう。
 医療を考える集会などでも当事者の人たちから「一人の人間として向き合ってほしかった」「人としての尊厳を傷つけないでほしい」という人間として当たり前の訴えが聞こえてくるようになった。人を人として認め合うことが、人権尊重の第一歩であろう。教育や医療に関わる人たちにもう一度考え直してもらいたい。

 不登校やひきこもりの状態にある当事者を、このままではいけないと考え、何とかして医療機関や相談機関、自立支援施設に連れて行こうという動きが全国的に広がりつつあるが、そういう場所で再び「心の暴力」を受けたり、ときに肉体的な暴力をふるわれて傷ついて苦しんでいる子どもや若者が大勢いることも、知っておいてほしい。

 肉体的な暴力も許せないが、心の暴力もマジョリティーによるマイノリティーに対する許しがたい人権侵害に、ほかならない。ガンジーが強く訴えたのも、強者としてのマジョリティーへの非暴力の勧めであった。マジョリティーに属していると思い込んでいる人たちこそ、マイノリティーと呼ばれる立場の人たちに対する思いやりや共感性が不可欠である。その想像力が欠如したときに、不幸な暴力の連鎖が生まれると言っていい。

 心の非暴力は当事者からのメッセージでもあり、私たち誰もが子どもとして育ってきた時代があり、やがて年を重ねて穏やかに生きていくための至言といえるであろう。不登校やひきこもりの当事者の人や、彼らに関わる人たちにも非暴力と不服従というガンジーの精神が、今も私たちの心に生きていることを伝えたい。(小児科医)

※2006年9月1日 Fonte