娘が小学校3年生で学校へ行かなくなってから20年が経つ。それ以来「親の会」など不登校「問題」に関わり続けてきた。娘が「学校へ行かなくなる」ことは、私のなかにあった学校の存在の大きさと、家族、とくに夫婦の「常識的」な関係のおかしさに気付くことだった。私は大混乱していた。しかし、いち早く、夫が「学校なんて行かなくてもいいんじゃないか?」と言った。「本音だろうか?」と私は思ったものの、それからは「学校へ行かなくてもいいよ」と娘に言い続けた。だが、顔が引きつっていたときもあったにちがいない。そのころも私のまわりには素敵な友人が何人かいて、いつも話を聞いてくれた。「励ましの言葉」はなく、ただ聞いてくれた。ありがたかった。また、娘をそのままの姿で受け入れて一緒に楽しんでくれたり、「おもしろい視点で絵を描くわね」と私が気付かなかったものを示してくれた(これがフォトグラファーを目指している、いまにつながっています)。

 5歳上にもう一人、学校へ行き続けた娘がいる。親の期待を一心に背負って行き続けた。「親を困らせること」を次々とした。彼女が穏やかになってやっと「苦しかったんだなー」と感じられた。いまでは「情けない親だ」と思っている。

 親が「親面」をしなくなると、親も楽だけれど子どもも気持がスーッと軽くなるようだ。彼女たちがくれる誕生日カードにはいつも「お母さんのしたいことを楽しくやって! 幸せにね」と書いてあった。「子どもの心配より自分のこれからをしっかり生きてよね」ということね。娘のことは「心配無用、自分で何とかやって行ける」と思ったころから、私の気持ちは自分の内側へ少しずつ向かっていった。私は「団塊」(ひとくくりにしてほしくない!)と言われる世代で、家庭環境もあったが学園闘争の最中に大学にいたこともあって、社会や政治は自分たちのもの、自分たちが変えたりつくったりするものだと強く思っている。「私が生きる」にはここに関わるのが自然で、そのころから少しずつ外へ出ていくことになるが、「経済的自立をしていない」ことが重荷でしかたない。夫との関係も「おたがいに自由になるには私の経済的自立が必須!」と強迫的に考えて自分を追いつめていった。いまではこの自分を縛る枠からはみ出ることに、まあまあ成功していると思っているのだが……。人間の価値までお金に換算していくという資本主義社会の枠組みに取り込まれている自分に愕然とし、その後すぐに「経済的自立は、できる人がすればいい。できない人は助けてもらおう! 精神的に自立していればいいのだから」と、単純に納得してしまったのだ。

 そんなこんなでいまに至っているが、娘の不登校から始まって、数年前から関わっている「日本国憲法改悪反対」や「教育基本法改悪反対」などの活動が、また新たに素敵な人たちとの出会いの場になっている。私が生きてきたなかで一番息苦しく感じる時代だが、不登校「問題」がどんどん先へ広がり人と人を繋げていくのを楽しんでいる。(神奈川県 渡邉久美子)

※Fonte 2006年9月15日号掲載