◎  田中進一(父親)

 ある日、彼は2階の押し入れの上段に入って出ようとしませんでした。私も子どものころに遊びで入った押し入れの心地のよさを知っています。「学校休んでもいいから、そんなところに入っていないで出てきなよ」と声をかけて1階へ降りました。

 私は彼が小学校1年生のときに、脊髄損傷による身体障害者となり、都内の救急救命センターに入院手術、その後、神奈川県の病院に転院して、リハビリテーションのための入院生活をしました。

 退院した後の生活では自分自身それなりの努力をして生きてきたつもりでおりました。

 息子はおとなしい、いい子です。そんな彼に電話がありました。中学生のころです。彼がでると「おいテメェ」と電話の相手は言っていました。そばにいなかったのでその後のことは、わかりません。

 また、こんなこともありました。学校でテニスクラブの交流会があったらしく、チームメイトから「試合相手が待っているから、すぐ来るように」という電話がありました。そのことを告げると彼はおとなしく出かけていきました。そんなことがあったのちに修学旅行に行ったのです。私が頼んでおいたお土産は買ってきました。

 そして修学旅行から帰ってきた次の日に、最初に書いたようなことが起きました。その後、学校の先生は「無理なようなら学校に来なくてもいいですよ」と言って帰ったそうです。

 そうして彼は、今年25歳になりました。午後3時ごろ起きてきてはテレビゲームの毎日です。

 憶病な私は、わが子に声がかけられなくなってしまいそうです。

◎ 田中喜美(母親)

 あるときから彼(息子)は「見ざる、聞かざる、言わざる」の状態になりました。家族を含めまわりの者から心を閉ざしてしまいました。それから11年になります。

 私にはそれまで問題なくまわりと順応してやってきていたように見えました。ですので、彼の心のなかで何が起きていたのか、まったく気づきませんでした。しかし中学3年の5月に突然、不登校になりました。はじめはこの状態が認められず、親としてどう対応したらよいかわかりませんでした。

 教育センターなどのカウンセリングを受けたり、専門の方のお話しを聴いたりして、少し彼の行動を理解できるようになりました。でも彼に対して、どう働きかけをしたらよいか、いろいろなアドバイスを受けるのですが、なかなかできません。

 彼は彼なりに一生懸命生きているように思われます。信じて待ちたいと思います。(埼玉県 田中進一・喜美)

※Fonte 2006年5月1日号掲載