私の長男が不登校になったのは小学校6年生の11月、修学旅行の直後でした。
直接のきっかけは修学旅行中のことを文集に書いたところ、ほかの保護者から「あれはいじめではないのか?」との多数の問い合わせがあったことでした。その結果、文集は担任に回収され、あげくに「事実でないことを書くな、書き換えろ」と言われました。そのうえ、それを断った長男に対し「書き換えないと文集が出せない、あなたのせいでみんなに迷惑がかかる」と言われたのです。彼が文集に書いたことはすべて本当にあったことでしたし、それ以前からも命にも関わるいじめをされていたのに、まったく取り上げてもらえませんでした。それだけではなく、4歳下の長女まで学校で、長男の同級生にカッターナイフで手を切られたりもしていました。その事件を学校に報告したことで、加害者の姉から長女が仕返しを受けたりもしていた、あげくのことだったのです。
親の私たちと言えば「負けるな! がんばれ!」と子どもの気持ちも考えず、その後のまちがった学校の対応にも「学校第一主義」を崩せないバカ親でした。その結果が、不登校後の長男の強迫神経症の発症と、無理をして学校に通っていた長女のひどい喘息の頻発でした。いま思い出しても自分のふがいなさに身を切られる思いがします。
血縁からも「親のお前が悪いから子どもが不登校になるんだ!」とくり返し責められもしました。加えて6年の3学期中、学校からは毎日のように、夕食時間に長時間の電話がありました。それも「不登校などさせていたら子どもの一生を台無しにします」という一言の詫びもない不安を掻き立てるものでした。いじめていた子たちからの「またいっしょに遊ぼ!」というような脅しでしかない手紙や訪問もありました。手のひらを返したような態度の人もいたなか、友人たちは「あなたの子どもなんだから信じていいよ、信じているよ!」と言ってくれました。しかしそれも気休めにしか思えず、長く暗いトンネルを歩いているようなつらい毎日でした。学校から薦められての、お定まりの病院めぐりに傷つき、なんら有効な助言もないまま、数年を過ごした後、ある臨床心理士に出会えたことがきっかけで、今の私たちの幸せがあります。
その臨床心理士さんとめぐり会えてからは、子どもを無理やり病院に連れて行く必要もなくなりました。親だけが定期的にお話を聞きに行くだけでしたが、親の理解が進んだだけで子どもが驚くほど変わることをくり返し経験しました。学校へ行かなくなってから一度も喘息の発作を起こさなくなった娘の姿をみて、自分がどれだけまちがっていたかをあらためて知らされました。子どもが不登校になってからもう11年が過ぎました。いま、思い返してみればなんと大切な経験を子どもにさせてもらったんだろうと思います。そのおかげで居場所「結空間」を開くことにもなりました。何一つムダなことはなかったんだと思っています。だからこそ、いまもなお苦しむ必要のないことで苦しめられている多くの人がいることが悔しく悲しいです。多くの未来ある人たちが無意味な場所、まちがった決めつけから一刻も早く自由になってほしいと願っています。そのために私も努力していきたいと思っています。(大阪府 中尾安代)
※Fonte 2007年6月1日号掲載


