どうして不登校に「漬け物?」と、思われるかもしれませんが、まぁさて置き、私は数年前から、梅干し、ラッキョ、奈良漬けなど、漬け物づくりを楽しんでいます。
子どもに「今どき、こんなことしている人いないよ」と、からかわれます。また、私自身も勤めに出て忙しいのに、まあめんどうなことを、と思うのですが、漬けた物をきれいに封をし、表に「○月×日漬け」と、メモをし、数カ月間じっくり待って、初めてひもをとき、味見をするときのワクワク感は、格別です。これら漬けた漬け物を子どもたちは、ほとんど口にしないのですけれどね。まあ、今のところは、姑への土産と、自己満足ぐらいです。
日本の漬け物は、おもしろいもので、かんたんに言えば、塩と重石と時間で、できているような気がします。なかでも、塩は、すごいもので、塩加減一つで、微妙に味がちがってきます。また、保存を長くも短くもできます。まさに、いい塩梅ですね。
さて、わが家は、娘二人の不登校期間を合わせると、丸6年が経過しました。現在、高校2年生と、中学3年生です。さすが、6年も経つと、私も子どもたちも考え悩み落ち込むのに疲れてきたようで、冗談が飛びかい、私のガミガミ怒鳴る声も戻って来たようです。以前とちがうところは、できるだけ、決定権は、子どもにあずけるようにしているところでしょうか。
先日、テレビゲームをしている二人の会話が耳に入って来ました。「お母さんの気分を損ねるなよ。お母さんのネチネチ攻撃が始まるんだから。お母さんのネチネチ攻撃は、けっこうきついんだから。正論だけにきついよ」と。
まだ私は、「今、この大事なときに○○しないでどうする」などと、言っているんでしょうね。ほんとうにコリないものです。
これまで反省することは、たくさん、たくさんあるのですが、一番思うことは、どうしてもっと本能で子どもに接し、よく聴き、かわいがらなかったかということです。
転勤族で、核家族のせいもあったのですが、育児所に頼っていました。また、万人に当てはまることでもないのに、まだ子どもが赤ん坊のころから、ラジオやテレビの教育相談なども見聞きし「ああすると、こうなる」など、片寄った知識が先行していたような気もします。また、早期の習い事も自主性を削ぐものだったと思います。
なんて言っても、二度と元には戻れません。
ペット、とくに犬好きな次女が、6年生のとき、「お母さん、犬を飼うには、何が必要か知ってる? 努力、根気、そして愛情。人間も同じさ」と言い放った。
先の、漬け物の塩梅ではありませんが、愛情のかけかた次第で、その子の人生もいろいろと変わるように思われます。わが家の娘たちは、長い時間、いろんな重石に耐え、充分、発酵したでしょうか? いや、いやまだまだ、これからのようです。
私が、今書きつづっているあいだも、しっかりパソコンに向い、ゲームか何かをしてくれています。のど元まで出る言葉を押さえ、私なりのオリジナルな言葉をもって、エールを送り続けたいものだと思っています。(福岡県 P.N.どくだみ)
※Fonte 2007年2月15日号掲載


