現在32歳の長女は中学2年のとき不登校になりました。私たち夫婦は、先生や友だちに迎えにきてもらう、車に押し込んで連れて行くなど、まさに「首縄時代」のやり方で学校に戻そうとしましたが、長女の体調はさらに悪化、3年生に入るとほとんど登校できなりました。これでは高校は無理ということで、留年し次年度の受験に備えることにしました。しかし、長女の生活はメチャメチャになってしまいました。私たちは高校進学へのこだわりが長女を追いつめたことに気づき、そのこだわりを捨てました。

 すると、親の気持ちがすっと楽になり、自然に子どもとやさしく接することができるようになりました。それで長女は安心感を持つことができたのでしょう。コミュニケーションも回復して、長女は急速に元気になっていきました。

 たしかに、ほぼ全員が高校に進学できるのは、社会の進歩にちがいありませんが、高校に行くのが当たり前で、「そこから外れたら子どもの人生はおしまい」という考えも根強いようです。しかし、「十五の春にかならずどこかの高校に行かなければならない」という考えから親も本人も自由になれば、大半の「不登校問題」は解決すると思います。

  長女が成人を迎え、社会人としてやっていけるメドがついたころ、今度は小学4年になったばかりの次女が不登校になりました。はじめは姉のときと同様、さまざまな身体症状を訴えましたが、ゆっくり休ませ、いっさい学校に戻そうとはしませんでした。するとまもなく症状は消え、放課後はほかの子どもといっしょに遊んでいました。結局、その後も、中学校進級時に2カ月行っただけで、あとは学校と無縁なまま義務教育を終えました。

 現在、長女は3児の母親として育児に奮闘しており、22歳の次女は地方公務員として働いています。社会福祉援助論の基本に、「受容」や「自己決定の尊重」などを重視する「バイステックのケースワーク七原則」があります。ふり返ってみると、長女のときは、ことごとくこの原則に反した対応をしてボロボロになるまで長女を追いつめてしまいました。しかし、次女のときは、おおむねこの原則にかなった関わりをしたことで、次女は元気に暮らすことができたのではないかと考えています。不登校やひきこもりの理解と支援でも、福祉の思想がとても大切であることを実感しています。アイメンタルスクールや長田塾、戸塚ヨットスクールなどは、その対極にあるものです。

 私たち夫婦は、娘たちの不登校を通して「問われているのは、親自身の価値観や生き方であり、大人社会のあり方ではないだろうか」と考えるようになりました。その意味で、娘たちの不登校は、とても素敵なプレゼントだったと思います。

 なお、昨年、新風舎から「わが子が不登校で教えてくれたこと」(1365円※書店やネットで注文できます)を出版しましたので、参考にしていただければ幸いです。(北海道 野村俊幸)

※Fonte 2006年7月1日号掲載