「自分にはコミュニケーション能力がない」「人間関係をつくる力がない」。最近、そうこぼして悩む、10代、20代が増えてきたように感じます。しかし、「コミュニケーション能力不足」を悩む人と、問題なく会話ができることのほうが多いです。「考えていることが、うまく伝わらない」ことや「人見知りをする」ことは、誰にだってあることです。「コミュニケーション能力不足……」と悩むのは、本当は何を悩んでいるのでしょうか?

◎ 人間関係は関係性の問題、力ではありません。

 私たちは生まれながらにして、今の世の中が何を演じているのか、そういった現代社会の構造的要請のなかで、私たちひとりひとりの物の捉え方、考え方まで規定されてしまっているように思います。

 いじめ自殺に端を発して、いっせいに「生きる力」だの「生きる技術」だのと訳のわからぬ理屈を並べては個人の問題にすり替えていく社会だからこそ何の解決にもならず、また愛想を尽かす子どもたちが後を絶たないのです。こういう問題は、不登校が社会の注目を集めるようになったときからいくらでもありました。たとえば「集団生活を体験しないと社会性が身につかない」(⇒社会性って何? どういう集団生活を体験させられたかのほうが重大問題)。「いやなことがあってもわがままを言わず適応力を身につけないと社会へ出られない」(⇒適応の力? 人間は適応したり不適応を起こすからこそ自分らしく生きられる)。「いやなことから逃げてばかりいるとガマンできない人間になる」(⇒人間にはガマンできることとできないことがある。臨床の現場では、逃げないで疲弊し、倒れる人ばかりみてきた。見極めて生きることが大切)……などなど。一見、もっともらしく聞こえる教示(すでに私たちも教育でそのように刷り込まれている)ですが、実際、論理的・統計的根拠は何もありません。大事なのは、惑わされず、自分らしく自分の人生をどのように組み立てていくかという主体的な生き方でしょう。

 「コミュニケーション」ということについても同様だと思います。コミュニケーションは能力ではありません。気の合う人とはコミュニケーションが弾むでしょうし、気の合わない人と会話を楽しもうとしてもちぐはぐになるだけでしょう。「人間関係をつくる力がない」という言い方も考えてみればおかしい話で、人間関係というものはまさにコミュニケーション同様関係性の問題であり、力ではありません。――さて、たしかに相談の内容のように、ちゃんと対話できているにもかかわらず「コミュニケーション能力不足」と悩んでいる人たちがあります。経験的には、これまで周囲からの扱われ方のなかで自分を「能力不足」と認識させられてしまっているというエピソードによく出会ってきました。あるいは、過去に人間関係において心を傷つけられるという体験があると、自ずと対人恐怖を形成して人間関係に臆病になってしまいやすいものですが、それをたとえば自分の性格などのせいであると誤ってしまっているという事態にもよく遭遇します。いずれにしても、そこにある悩みは“自分自身の不確かさ”に基づいているのではないかと考えられます。人生、自分らしい、ありのままの自分を大切にしたいものです。(宇部フロンティア大学 臨床心理士 西村秀明)

※Fonte 2007年4月1日号掲載