昨年の4月、小学5年生になったわが子は、不登校をはじめました。今は家にいます。理由はよくわかりませんが、新しいクラスの友人関係でなにかあったのでは、思っています。最近、「退屈だ、退屈だ」とくり返し言って、ため息までつきます。きっと友だちをつくりたいのだろうと思い、適応指導教室やフリースクールを勧めても、本人は動きません。「やりたいことをやったら」と言ってもゲームばかり……、どうしたらいいのでしょう?

◎ 落ち着いてきても、まだまだ不安も

 子どもが不登校を始めた直後は、不安感や自責感がいっぱいで混乱してしまい「退屈」などとは言えません。ただ、少し落ちついてきたころに、そんな言葉をこぼすことはよくあります。

 強い混乱状態から比べれば、「退屈」と言えるのは、いい状態といえるかもしれません。ただ親からしてみれば、一日中、家にいるわけだし、あまり日々の変化はなく、友だちもおらず、「退屈」だと言われれば、いろいろなことを勧めたくなるのも自然でしょう。

 ところが「じゃあ、学校以外にも、行けるところはいろいろあるよ」と、居場所や適応指導教室、学習塾などを勧めても、もうひとつ態度がはっきりしないことは、よくあることです。

 「通うのには無理かなあ」と思ったら、今度は、家のなかでやれることを親は勧めてみたりします。「料理をつくってみようか。」「博物館に行こうか」「おばあちゃんちに、ひさしぶりに行こう」、本人はきっと興味があるはずだと思うことで誘って見ても、あまりのってきません。ときには「ピアノを習いたい」「亀を飼いたい」と自分から言いだしたことでも、途中でやめてしまい、長続きしないのです。そのくせ「退屈、退屈」というので、親もイライラして「じゃあ、いったいどうしたいのよ」と言ってしまい、子どもの泣きそうな顔やプイと向こうへ行ってしまうようすを見て、「しまった」と後悔したりします。

 どうして、こうなるのでしょうか。これは「退屈」という子どもの言葉に対して、その言葉のみに反応してしまい、親のイメージや理解で解決してやろうと動いてしまうからではないでしょうか。

 子どもは少し落ち着いているように見えても、まだつらかったり、不安だったり、本当に自分のやりたいことができる状態ではないことが多いです。集中してやりたいことに取り組むには心理的な安定が必要なのです。親が勧めてくれることを考えてみても気持ちが進まないし、気力、体力ともにやれる状態ではないのかもしれません。ただ、やれることはかぎられてるので、本当に退屈なのでしょうが、むしろ「退屈なんだ」ということを親にわかってほしいのではないでしょうか。言葉の奥の気持ちを受け止め、退屈につきあっていくことが大切と思います。(本紙理事・奥地圭子)

※Fonte 2007年2月1日号掲載