ひきこもっていた若者に話を聞くと、途中でかならずと言っていいほど「あの時期は現実感がなかった」「現実味のない日々だった」というようなことを言います。どういう意味なのか聞くのですが、よくわかりません。現実感がない、とはどういう意味なのでしょうか?
◎現実から身を守ろうとする心の反応
私も相談現場において、ひきこもった経験をもつ青年を含め、いじめ・不登校経験を有する青年たちが当時をふり返って、「現実感がなかった」と発言することによく出会ってきました。また、「あのころは死んでいた」とか、「あのころの記憶はあいまいで、どうもはっきりしない」と述懐する者も多くあります――。
さて、いささか硬い話で恐縮ですが、自分というものは4つの意識で構成されていると考えられています。つまり、①自己の知覚、思考、行為は自分でやっているという“能動性の意識”、②自分は同一の瞬間において一つであるという“単一性の意識”、また③過去の自分と現在の自分は同一であるという“同一性の意識”、そして④自己と他者との間の“境界の意識”の4つです。これら4つの意識によって自分というものができているのですが、人生を生きていくなかで、自分では対処できないほどの精神的打撃(心的外傷・トラウマ)を受けると、その衝撃によってこれらの意識が障害されることがあります(トラウマ反応のひとつ)。それは、生徒間のいじめであるとか、教師からの暴力であるとか、そのとき逃げ道もなく、耐え難い現実に身を置かなければならない事態に遭遇することによって起こる防衛反応のようなものであると理解されます。ある者は「劇をやっているような感じ」だとか、「リアルさがない」などと表現したりします。いずれにしても、直面している現実から遊離した体験として認知し、身を守ろうとする心の反応です。感覚が鈍麻して、痛みや苦痛、恐怖感さえ消失してしまったり、能動性の意識が障害されてここにいる自分から抜け出し、離れて自分がいると感覚されてしまったり(離人体験)、ひどい場合には、自分が自分自身であるという意識の一部が解体されて起こる二重人格(多重人格)に発展したりすることもあるほどです。これら一連の反応は、意識や感情を麻痺させて心がそれ以上傷つかないようにする心理機制なのですが、同時に生きている感覚、喜び・悲しみといった感情まで失ってしまうということも希ではありません。――こういうことを経験した青年たちが、後に心が癒え、元気を取りもどして回想したとき、「現実感がなかった」とふり返ることになるのだと思います。それほど、彼らの心は傷つけられてしまっていたという証拠でもあるということではないでしょうか。(宇部フロンティア大学 臨床心理士 西村秀明)
※Fonte 2006年12月1日号掲載


