奇抜なファッションや派手な染髪……、精神的にきつそうだった人が急に外見上は変わることがあります。本人の気持ちが、それで晴れるようであれば、それでもいいのですが、「きつさ」は以前と変わらないようです。こうした外見上の急な変化はいったい何なのでしょうか?
◎ 素の自分を防衛するための鎧
たしかにご質問にあるように、たとえば“不登校”であったり“ひきこもり”であったり、あるいはいわゆる“不適応状態”にある青年たちのあいだで、元気を回復して再び社会へ踏み出そうとするとき、ピアスはもとより驚くような髪型や髪染めをするのを経験することがあります。ファッションだと言えばそれまでのことですが、ただのファッションでもなさそうです。何らかのこころ模様がそうさせるのだろうと思います。
青年たちに尋ねてみますと、たとえば再び登校をはじめるとか、ひきこもることをやめて外へ出るとか、彼らがもう一度集団に身を置こうとするとき、これまでどおりの素の自分ではどうもふつうに出て行けない、「どこか勝手が悪い」というようなことを言います。そこでピアスや髪染めとなるわけですが、それが自分に似つかわしいかどうかということより、「ふつう、そこまではしないだろう」ということまで誇示することのほうが重要なのだそうです。ある不登校の青年は、学校や会社などの集団のなかで「自分らしく」あり続けるためには「どこか“輝いて”いないとやっていきづらい」のだと教えてくれました。たとえば、「ある分野の知識に秀でている」とか、「跳び箱が何段跳べる」とか、「ある楽器が並はずれてうまい」など、そういった「個性(能力)」を求めているのかもしれません。そこらにいる人とちがって、どこかで自分を際だたせていないと主体的にふる舞えないということなのでしょうか。あるいは(私のたんなる邪推ですが)、素の自分を防衛するための鎧なのかもしれません。いずれにしても、これまでにない行動をとっていくには、それなりの“勢い”が必要のようであり、何か目に見えるかたちで自分を主張するところから一歩を踏み出しているようにも見えます。
周囲に迎合しない自己、ほかとはちがう自己、ここに自分があるという存在の誇示……、揺るぎない自分というものを確認していくための通過儀礼のようなものであるのかもしれません。こうして、やがて肩の力が抜けていくと、さらに自分らしい自分を表現するようになることも経験します。ピアス、髪染めはそういう一連のプロセスでのひとつのエピソードとしてあるのではないかと思います。(宇部フロンティア大学 臨床心理士 西村秀明)
※Fonte 2006年9月1日号掲載


